2004.07.14 (wed) 第1日 東京出航
家人といっしょにくる。10時にはチェックアウトを終え、船と岸壁で、むかいあう。声はとても聞こえない。まだ、見送りのひともそこそこ。出航は、12時なので、時間がある。「部屋にもどる」と合図して、荷物の整理をしばらくして、戻ってみると、すでに家人の姿はない。場所が変わったのかと双眼鏡で探したが、見つからない。2時間も待ちきれなかったのだろうか。(真相は、3カ月後に?)
「安藤さんいってらっしゃい」のバナーが、みつかる。そばで、こちらにむかって手を振っている女性。よく見ると、YMさん。そうか一緒に乗船するボラスタ仲間の安藤さんは多摩市の人だったな。段々、人が増え、甲板も、岸壁側も満員に。私のいたところのまわりには、頭にお揃いの飾りをつけた女性陣。「この場所は邪魔?」というと、「ボラスタをやってましたよね。この横断幕をしっかり持って、おろすのを手伝ってください」。”戦火を聖火に”今回のクルーズのメインテーマだ。でも、持っているこちら側からは、文字が読めない。出港式が近づく。岸壁側の若者たちが、大声で叫びあう。「がんばって」「まかせておけ」「いっちゃだめ」「わたしも行きたい」「こっちへ泳いでこい」 なかには、泣きだす子も・・・。若者は、気持ちを素直にあらわしている。30%を占める高齢者は、いたって静か。わたしも同じ。ギリシア大使、エリトリア大使の挨拶とつづく。不謹慎かもしれないが、それなりの感懐しか起きない。
左手に横断幕、右手にシャンパン。双眼鏡も使いたいし、デジカメも使いたい。あわただしく出港式を終え、持ち場を離れる。
船が岸壁から離れていくのを、一人はなれて、観察。
部屋にもどり、再び荷物の整理、スーツケース2個、段ボール2個、標準の2倍はある。どうしたらよいか。
同室の2人とお互いの紹介。埼玉からきた、眼の専門家SWさん。目の健康について、自主講座をひらく準備をしている。佐賀からきた元教師(翌日わかったことだが)SDさん。おとなしい実直な感じ。このひとのことは、後述。
最後の人は神戸から乗船らしい。宅配便がないので、荷物も少ないことを期待。
2004.07.15 (thu) 第2日 神戸出航
出航式は、東京より静か。自分が主役でないため、余計そんな感じ。しかし、岸壁を離れ始めると、なにか胸にジンと込みあげてくるものがある。本当の意味での日本最後の日だからだろうか。
ただ、昨日のこともあわせて感じたことは、気持ちの表し方は、人それぞれ。時間差をもって表れるひともいるということ。
・同室のメンバー
神戸からの乗船は、Mさん、まだ若そうな感じ(あとでわかったことだが、それほど年に差はなかった)。典型的な関西人。楽しい人。
数年前オリバー号に乗ったことが有るという。部屋の暑さに驚き、直ちに交渉。電話口には、担当が英語で出るので、「日本語のわかる人を出せ」と、関西弁でまくしたてる。
部屋に担当らしき外国男性がきて、通風口をチェック。風はでている。「hot hot」とこちらはいう。 not surtisfied ? と聞くので、 not surtisfiedという。
夕方、日本人女性オフィサー、外国人男性オフィサー2名がきて、温度をはかる。
女性がいうには、「たしかにこの部屋は熱い。他からも苦情がきているので、元の冷却をあげる。ただ、船内が、冷えるには時間がかかる。とくに、出航時は、部屋を開け放しにすることが多いので、冷却しにくい。浴室のドアもしめておいてほしい。」
せっかくきたのだからと、「ドア鍵のもどりの悪さ、洗面場のタオル掛けの止めねじゆるみ。テレビ台の固定不安定」と気のついたことをいう。また、シャワーをつかった水が、洗面のほうにながれ、もどらない。すぐ修理というわけにはいかないだろうから、「ゴムのワイパーのようなものを貸していただければ、自分たちで、水を吐き出せる」と注文する。
明日(16日)朝、ドア、タオル掛け、テレビ台は、大工(carpenter)がきて修理する。ゴムワイパーの件は、担当のほうに、適当なものがあるかどうか、検討させる。
冷房のほうは、5分後に、また様子をみにくる。
ということで落着。 主張すべきことは主張する。さすがは関西人。
2004.07.16 (fri) 第3日
・新しい友人
ロビーで、竹の罫書き作業をしていたら、竹について、関心のある方が、話しかけてきた。
竹トンボをやるときにはぜひ参加したいと。今日、昼食後、プールで、浮身をたのしみ(じつは泳げないが。海水なので、顔を上向きにすれば、楽に浮くことができる。上向きで、ばた足をすれば、遅いが前に進む)、ジャグジーであったまっていると、向かいのバーから、男性3人組が、手を振っている。知らない人なので、無視しようとすると、手をすり合わせて、竹トンボを飛ばす、ジェスチャー。
あわてて、ジャグジーからあがり、バーにいく。近づいてみると、さきほどの一人がいた。愛媛からの竹トンボ名人Kさんを紹介される。名刺をみると、日本紙ヒコーキ協会愛媛県支部長。夕方には、京都からきたSさん、名刺には年中無求人とある。あっという間にいろいろな人に出会う。
今日17日には、電源のあるロビー(船内2箇所しかないので、PCをもっている人はみな集まるので、自然と交流ができる)で、大阪の元教員のご婦人に、にわかWORDレクチャー。
・緊急避難訓練
国際条約で定められているとかで、全船を4つのブロックにわかれて、救命胴衣をつけて集合場所にあつまる。更に胴衣にかかれている記号(これがボートと対応している)に従って、グループをつくり、全員点呼確認のうえ、指示(当然英語。日本語もつくが、よく聞こえない)に従って、ボートのある場所に進む。しばらくして、船長からの離船命令(模擬 )。待機中は、女性が前列、男性が後列。年齢は関係ない。
以上で訓練終了。
かえりの際。若い女性同士のはなし。「老人、子供を先にではないのね」「子供を生めるのは女性だけだからね。」「そういうことか。」
14:02 右舷に島影をみる。大隅半島だという。ということは、さきほどみた灯台は、都井岬か。
2004.07.17 (sat) 第4日
朝5時起床。外はまだ暗い。PBセンターのところで、老人男性が、スタッフと話をしている。パジャマ姿、裸足。事情を聞くと、トイレを使いたくなったが、同室の人に迷惑をかけてはと、外の共同トイレを使おうとして迷子になってしまったという。律儀な日本老人の姿をかいま見た。船首甲板に出ようとしたが、ドアが閉まっている。船尾にいってみると、すでに、10数名夜明けを待っている。夜が明け始める。なかなかの雰囲気。同室のSWさんもあらわれる。明けの明星が、右手上空に輝いている。しばらく、眺めていたが、前日のウェルカムパーティーで着た浴衣姿で出てきてたので、寒くなり部屋にもどる。朝の運動ができるスタイル。Tシャツに短パンに着替え、船尾にいく。すでに日は上がって、丸くなっていた。両舷のデッキを、朝の運動として早足で歩く人達がいる。
6時近くになると、太極拳、ラジオ体操の自主企画に参加する人が集まりだした。6時は太極拳、ラジオ体操は6時半とのことなので、太極拳に参加。ご婦人が、前に立ち、ラジオ体操のようなふりで体を動かしている。あとからやってきた後方の人が、もっと音を大きくしてくださいというと、別のひとが、「まだ先生がきていません。時間がもったいないので、皆で自主的にやっているのです」と。これがまさに自主企画講座。お仕着せでなく、好きな人が集まってなにかをやる。
太極拳が終わって、トレーニングジムで、トレッドミル 10KM/H で30分走る。喉がかわいた。時間をみると、7時。朝食の時間だ。シャワーを浴びるひまなく、船尾デッキにあるヨットクラブにいく。オートミール、パン、オレンジジュース、ヨーグルト、ソーセージなどサラダ。コーヒー。
中年と思えるご婦人2人づれの席が空いていたので、同席させていただく。無言がつづいたので、「お友達でいらっしゃったのですか」と声をかける。右側の人が、「そう見えます?」と。あらためてよく見ると、左側の方はやや年配。答えに躊躇すると、「私達、親子です。」。あわてて、右側に「失礼しました」左をみて「でもお若いですねえ。」娘さんが、「いくつに見えます?」「60代ではないかも?、70才になられてます?」と私(ちょっとサバを読んで)。「83です」。いやいや、実際お若い感じがした。お母様のほうが、「冥土の土産にと娘が、つれてきてくれたんです。なにもしなくていいから体だけでよいといわれて。でも来て本当によかった。ここでは、いろいろな人と話ができる。珍しい話をいっぱい聞かせていただいた。」
娘さんに聞く。「船に乗られたきっかけは?」「じつは今年の3月まで、仕事をしていたんです。でもいろいろつらいことがあって、辞めるときに、なにか全くいままでと変わった環境に変わりたい。するとある友人が、だったら船にのりなさい。という。そこで、いろいろ調べた。QE2など。でも手がでない。そのうち、娘が、ピースボートがあるじゃない。店にポスターが貼ってあるでしょうといってくれた。早速資料をとりよせ、4月8日発のクルーズに乗ることにした。ところが、娘が、6月に出産予定。いろいろあって7月に延期。そのとき、ふと母のことを思い出した。断られるかもしれないと思いながら、声をかけると、いくよ、と二つ返事。とたんに予算その他が、頭のなかを駆けめぐった。でもこうして、一緒に来れてよかった。なにより健康のおかげ。」
わたしも、高田馬場のPBセンターで、ボランティアスタッフをしたときに聞いた、参加したひとの気持ちなどを話すと、「そうですよね。こうやって船に乗っているひとは、幸せですよね。でも、これだけの船を出すには、大変ではないですか。若い人たちも、よく動いていますね。」
ボラスタの活動の一部、わたしが体験したことなどを話す。「そうですか。すばらしいNPOですね。」
食事も終わったので、わたしはここで退席。別の男性が替わってすわり、さらに話はつづいていた。あちこちで、知り合いができ、また、自分の知り合いに紹介する。交流の「善循環」。ある人が、いっていた。とてもこんなに誰とでも話ができるなんて、とても町中では出来ないわね。
明日は、初めての寄港地、台湾。
おいしい食事を楽しめるようになのか、ディナーは、軽い和食で終わった。時刻を1時間遅らせるよう指示があった。
竹トンボの合同自主企画は、19日午後2時からと決定。デジカメの相談会の指導も頼まれた。これは、19日10時から。さらに忙しくなってきた。
2004.07.18 (sun) 第5日 台湾 初上陸
基隆港 入港。前日時差調整をしたので、5時起床したが、驚くことではない。
すでに港は目の前。日の出をみたあと、太極拳を6:30まで。引き続き、ジムで30分ランニング。9km/h のペース。
参加するオプションコースは、「A:台湾過去現在未来」
2.28記念館を見学。この事件のことを知っている日本人は、どれくらいいるだろう。私はこのツアーで はじめて知った。大戦後の国民党支配を台湾側からは、新たな侵略と捉えていること。冷戦の消滅とともに民族紛争の火種になっている。館内で案内をしてくれた人は、昭和5年生まれ。日本統治下で皇民教育をうけたひと。達者な日本語を話す。「こうやってボランティアをしているのも日本語を忘れたくないため」とか。彼にとっての母国語は、日本語。50年間の日本支配の功罪を語ってくれた。教育、鉄道、土木、医療など。日本が進めたことで、台湾がいかに助かったか。しかし、政治の実権は、日本人が握っていた。そのため、戦後大陸から国民党がきたとき、それに対抗できる人材が台湾にいなかった。日本の資産をすべて、国民党が没収したため、国民党は、世界でもっとも資産をもっている政党となった。
国民党の独裁に抵抗した民衆が、1少女のたばこ密売事件に端を発して、暴動になり、3万人以上の犠牲者がでた。それが2.28事件。李登輝は、国民党でありながら、この事件に関し被害者に謝罪した唯一の人。日本の教育をうけた彼には、大和魂が、残っている(とは、彼の弁)。
昼、広島長崎の平和の誓いの火を、台湾にも渡し、ギリシャまで持っていくピースセレモニーに参加。2.28記念館の前、強い日差しのなか、2百人近いひとが集まり、記念館館長ほかの挨拶ではじまり、創作ダンス、和太鼓、ギリシャダンスで終わった。
午後、蒋介石記念の 中正記念堂にいく。大理石でつくられた、広大な廟のような感じ。館内には、総統は利用した公用車(キャデラック)など。権力を誇示したい意図がありありとみられる。外に出て、振り返ってみたとき、エジプト王朝をおもいだし、嫌悪感がよぎった。
また、食事をしたホテルにもどり、台湾で2000年より法制化された、良心的兵役拒否の制度についてのセミナーに参加。
林氏より、非暴力の精神による、国際紛争をなくす努力・運動についての話を聞く。出発前にもっていた疑問が、氷解した感じがする。もどったらぜひ整理してみたい。
兵役を選んだ若者,兵役拒否した若者の話を聞く場があった。我々が、認識していた米国などの兵役拒否とは、違う印象をもった。台湾にはこんな諺があるそうだ。「頭が坊主のものは、頭が悪い。」坊主頭とは、軍隊のこと。兵役拒否(実態は免除)できるための条件が厳しく、実際上できるのは、エリート階級の人だけ。兵役拒否することによって、「社会的不利益をうけないか」という、中年日本人の質問も、「兵役免除にあたって不公平なことは行なわれていないか」と解釈されてしまった。
・基隆 夜市
夕食は、屋台で。日曜日とあって、人々で満員。熱気の中で、asian tasteを楽しんだ。

2004.07.19 (mon) 第6日
はじめての自主企画が、2つあった。
・デジカメ超初心者よろず相談 過去クルーズ経験者のOMさんが音頭をとって、ベテランが5名あつまり、機種別に相談を受ける。予想外の人気。40人近い人があつまった。「デジカメを買ったが、写せないで困っている」といった差し迫った人だけが、今日は対象です、といったが退席する人はいない。
私は、オリンパス、ソニー、リコー、その他を担当。近くにいたひとから、順に相談を受ける。まるで、過疎地の巡回医になった感じ。状況に応じてマニュアルの見方を説明。1時間だったが5名の人が、無事解決。撮影した写真の確認方法、1コマ削除の方法が、おもな質問事項だった。あるご婦人のデジカメを操作し、再生してみたら、ツアーと関係ない写真がでてきた。ご婦人はびっくり。昨年10月に急死されたご主人だとのこと。「ここで、また姿をみるとは。」大切な写真なので、別途CDにバックアップすることにした。午後、CD焼き込み機材を準備して会う。長年、ご主人は、前立腺ガンを患っておられた。開業医であったご主人の姿などを、デジカメでうつしたり、パソコンにいれたりしていたが、突然主人か亡くなられたので、ショックで、使い方を忘れてしまい、デジカメにさわることもなかった。今回のクルーズで、ようやく、カメラにさわる気になったが、操作はできなくなった、とのこと。持参された取説を拝見すると、見出しタグや書き込みがいっぱい。熱心に勉強されていた様子がわかる。10数枚あった、思い出写真をCDに焼きだし、デジカメのメモリのほうも、初期化して一件落着。
もうひとり、相談会とは別だが、CDへの焼き込みがうまくできない、との相談を受ける。ベテランのアマチュア写真家。CANONの超高級一眼レフデジカメ。CDを100枚以上持参。メモリー媒体から直接CDーR・CD-RWに焼ける設備(greenhouse製)を、持っている。カメラ雑誌で知り、直接メーカーに問い合わせ、金沢にあった最後の在庫を手に入れ、出発前の確認作業では成功したのに、船に乗ってからやってみたら、媒体タイプ違いのエラーがでてしまう、とのこと。はじめてみる機械。媒体側に異常がないか調べたが、OK。PCで認識でき、画像データもある。CD媒体も問題ない。私のメモリ媒体を使って書き込みを試みたら、これも成功。このとき媒体を挿入する方向が分かりづらく、説明書が必要だったので、「もしかして、メモリを逆に挿していたのでは?」彼は、はっとうなづいた。「そうそう、挿入するとき、ものすごく固かった。」正しい向きで挿入してみたら、きちんとCOPYできた。終わってみればなんということはない。でも、相談に来られた時の彼の様子。今回のクルーズの目的は、写真をとること。プロ級写真なので、画像サイズは大きい。旅の始まりで、CD書き込みができなければ、旅に参加した意味がない。でも解決できて、ともにうれしかった。
このお二人には、この航海中わたしのほうも大変お世話になった。デジカメつながりで、多くの人と出会いを楽しむことが出来た。これもまた閉じられた空間、船マジック効果なのだろうか。
・竹トンボをつくろう
奈良のHKさん、愛媛のKGさん、本格的竹トンボの準備をされている。私は、初級者むけ、簡単セットを準備している。上陸説明会の日程が早まったため、3時間から1時間に短縮されてしまい、今日は説明だけでおわった。明日から、実際につくりはじめてもらう。竹を削って出るゴミの処理が心配だ。
2004.07.20 (tue) 第7日
午前五時起床。日の出時の海撮影、昨日のPC記録をするつもりで、PCを持って甲板へむかう。どんより空が暗い。甲板に出ようとすると、雨粒が。出航後はじめての雨天。船尾の方向が、かすかに明るい。船は南西に向かっている。昨夜、2回目の時差修正。1時間遅らした。ということは、昨日は25時間あったことになる。早稲田予備校の25時ホールを思い出した。増えた1時間をどう使うか。1時間余分に眠れるというひと。酒を飲む時間が増えたと喜ぶ人。わたしの場合は、朝早く起きるのが苦にならない。
ジョギングの人達は、7階フロア(upper deckと呼ぶ)で、がんばっている。時計回りの原則を決めてあるので混乱はない。階段の上がり降りも、右側通行をすることになった。
5時38分、まだ船内新聞は出来ていない。46回クルーズでは、46’S(よろずと読む)と名付けられている。スタッフの人達は、休むひまがない。PBスタッフの忙しさは、ただ者ではない。センターに用事があり覗いたとき、「台湾ドルを消化するのに菓子を買ったが、食べる?」と聞いたら、スタッフは、ほとんど食事がとれず、「ここにいる人はみな腹を空かせているよ。」と。パイナップルケーキの差し入れをした。
PPTの湯澤さんのことを思い出す。かれは、PA担当で、スタッフ同様の活躍をしていたよう。自分の自由時間はなかったのではないか。今日も竹トンボの第2回目をする。どんな具合になるか。
竹トンボ作り:15:40~17:50 シアターで、作成開始。簡易バージョンを希望されたかたは、10名程度。2時間の作業で、なんとか飛ばせるものができあがった。残念だったのが、上手にできたので、うれしくって飛ばしていたら、別のひとにふまれて、心棒がおれてしまった。別の機会に、修理することを約束。
HKさんから、うれしい?ニュース。ダナンでのホームステイで、20本ばかり欲しいとのこと。簡易式でないととても間に合わない。作り手のほうは、集めてくるから、ということで、8時からフリースペースで作業開始。ナイフ、ヤスリを総動員。3時間かけて、30本作成。若者10名程度。同室のMさんも、自分はホームステイに参加しないが、子供たちの喜ぶ顔がみたい、と参加してくれた。
(注)PA:phonic apparatus 音響設備のこと? すべての催しは、音響設備や映写設備が正常に機能しないと台無しになる。PA担当はまさに縁の下の力持ち。* 2025/7 訂正 PAとは、Public Address(公衆伝達・大衆伝達)の略称です。音を増幅させて公衆に届けることを意味します。コンサートやイベントでは広い場所に多くの人が集まるため、地声だけでは遠くにいる人まで声を届けることは難しいです。そんなときに必要なのがPA機材です。
2004.07.21 (wed) 第8日
6時起床 曇天 太極拳に遅刻早退参加。早々に4階のトパーズダイニングで朝食をすます。(アメリカン)
昨夜は忙しかった。8時からの竹トンボ作りに夢中になり、9時に会う人との約束をスッポかしてしまった。デジカメのメモリデータをCDにコピーしてお返しする予定だった。今日は、ツアー日なので、午前中に渡さねばならないが、お名前を聞きそびれてしまっていた。食堂、レセプション、PBセンターに尋ね人の掲示。いま、08:17 右舷7階オープンスペースで、これを書いているとき、ご婦人があらわれ、やっと手渡すことができた。一安心。教訓:できるだけ、名前、部屋番号を聞くようにしよう。名刺交換は積極的に。今日の、ダナン上陸は、入国審査がないので、午前中はゆっくりできそう。
入港が、2時間ばかり早くなった。岸壁には、若者たちが、100名ほど。 入港式は、 ベトナムの民謡?、ホーチミンの歌(この歌は、バスの中で覚えさせられるとか。明るいやさしいメロディ)、三池炭坑節、ソーラン節など。
11時には、一括入国審査がおわり、自由行動組は、上陸OK。オプションツアーは、時刻かわらず。14時まで、のんびり。手持ちのなかからの6本程度の竹トンボと、「だんぼら」のSMさんから預かった折り紙の小箱を、明日のチルドレンズプログラムに持参する予定。
2004.07.22 (thu) 第9日
5時15分起床 晴れ 風つよし。昨夜は、9時前に就寝。積日の疲れからか、ぐっすり眠れた。自主企画管理板をみると、24日9~10時第二回デジカメ相談とある。予定にいれておかなければ。コロンボ用に、竹トンボも作っておかなければならない。自己スケジュール管理が必要。愛用のPDA:HP200LXが、不調なのが、痛い。機能的には問題ないが、ふた&画面の右側ヒンジが、折れている。データは、内蔵メモリーをつかってないはず。万が一、画面回路が断線しても、フラッシュメモリーのデータは大丈夫? でもここのところ、野帳をつかっているので、この際PDA離れも必要。・ストリートチルドレンプログラム 訪問
ダナン市内なので、出発は、10時半から、ゆっくりできた。職業訓練校をまず見学。電機、縫製、刺繍、パソコンの4つのクラス。10名程度が学んでいた。実習がほとんど。午前、午後に学習している。電機のクラスは、男子だけだった。とくに制限しているわけではないが、希望がないのこと。作業机のうえに、トイレに書かれているような落書きが、削り込まれていた。どこの国もおなじ。刺繍のクラスで、端にあった机のうえにAIDS予防のパンフレットがあった。(イラストでみるかぎり、具体的な内容ではない。)
そのあと、4つの家にわかれた。私は、4~17才の家。とくに、内部を見学ということではなく、子供たちと食事前の交流が始まった。広い場所を選び、トンボをひとつ取り出し、飛ばしてみる。男の子が数人あつまる。2本ばかり渡し、身振りで、順番にあそぶようにいう。やはり大きな子は、上手。できなかった子もやがて飛ばせるようになった。最初は、交代で遊んでいたが、やがて、他の遊びをするときも手放さなくなった。残りのトンボもみな、渡してしまった。飛ばしているのをみると、初めてとは思えない。
昼食は、屋外で、子供たちといっしょ。ただ、私たちのテーブルは、料理がすこし上等のよう。準備中をみると、ハエがいっぱいあつまるので、テーブルごとに子供たちが、ハエはらい。食事中も、なかなか逃げない。日本とちがって、ハエまで小柄。(ショウジョウバエよりちょっと大きい)。しかし、どれもとてもおいしい。白身魚に味付けされた具、野菜をまぜ、春巻きにくるんで、とてつもなく辛いタレにつけて食べる。最初の一口は、口の中が焼けるよう。でも、癖になる。
食後、交流タイム。SMさんの奥様から預かった折り紙の小箱をみせる。子供たちは、美しさにびっくり。ふたをあけると、中に小さな鶴や、カブト、奴さんがはいっている。けんかするといけないので、寮母さん(ママとよぶ)にあずけることにする。代わりに、ベトナムの折り紙を教えてもらう。1枚の折り紙を半分にきり、星の1片を作る。5片を組み合わせて、星が一つできる。5枚で、2つできる勘定。5つばかり出来上がった。これは、夫人へのお返しにする予定。
それぞれの交流が一段落したところで、みんなで輪になって、歌をうたう。ベトナムの歌、日本の歌、あっというまに時間が経ち、別れのとき、バスに乗り込む私たちを子供たちが追いかけてくる。ストリートチルドレンプログラムの子供たちは、何らかの事情があって、両親がいないこどもたち。寮で生活し、学校に通い、訓練校で、実社会への準備をするが、訓練校を出たからといって就職できるわけではないようだ。
厳しい現実はべつにして、いっしょに遊んでいるとき、子供たちの笑顔は忘れない。
・ハン市場で買い物
ダナン市内で、2番目の規模だとか。1階は、食料品、2階は衣料品。ちょうど帽子を前日失くしてしまったので、首掛け式を買う。5ドル(ベトナム・ドンは持っていない)。3ドルでどうだ、というと、4ドルにする。では、いらないと去ろうとすると、3ドルでよいというので、購入。あとで、同室のひとに聞いたら、別のところだが、1ドルで売っていたという。1階で、ハス茶を買う。一袋1ドル、6つまとめて5ドルにすると。これも3ドルでは、といい、だめならいらない。売り子の女性は、怒った顔をして、3ドルにする。財布をみると、10ドル札しかない。細かいのがないから、買うのを止めたと(ゼスチャーで)いうと、お釣りはあるという。釣りが戻るまでの時間がながい。その間、ベトナムコーヒーを薦められるが断る。(これは正解のようだった。真空パックが完全でないと、3カ月もたないそうだ。)。そろそろ土産物も考えねばならないが、まだ先はながいと今回は見送る。
竹トンボ、折り紙で子どもたちと遊ぶことが出来、やっと今回のアクションアイテムの一つを終了。次のAIは、南シナ海での、父への供花。ホイアン旧日本人街で、すでに入手済。ハン市場でも、花屋さんは、あった。部屋のなかだが、水をいれたコップにいれてあるので、なんとか保っている。明日朝にしようか。
2004.07.23 (fri)第10日
今日の予定:
11:00~11:30 手話教室
14:00~14:30 シンガポール上陸説明会
16:15~18:00 竹トンボつくろ
18:05 夕食 ドアクローズ
21:00~22:30 日本軍占領下のシンガポール「昭南島」
22:00~ 洋上星空観察会
右舷(西)側に、遠くに、島影がずっと続く。インドシナ半島か。海はいたって静か。さきほど、マラリアの薬を飲みに、後方デッキにあがったら、トンボが飛んでいた。このトンボは、一緒に地球一周するのだろうか。
手話教室に初参加。ろうの方が、先生役。はじめと終わりだけ、アシスタントがつく。板書と身振り。手慣れている感じ。「ベトナムは楽しかったですか。」「次の寄港地・シンガポールは、楽しい。」
後半は、皆で、しり取りゲーム。手話でなくともよい。若者がほとんどだが、40名近くあつまって大盛況。
昼食は、トパーズ(4階)で。若い女性、老年紳士(43回乗船経験者)と同席。竹トンボの話になり、はずむ。南洋のどこかで、竹トンボをみたことがあるという。宝塚にお住まいの技術士(品質管理の専門家)KMさん。竹は、よい、と力説される。
6階レセプション横の、航路図をみると、午後、サイゴン沖になる。朝、みえていた、島影はまったくみえない。今回の目的の一つ、60年前この海でなくなった父への献花の準備をして、後方デッキに上がる。以外に風がつよい。波頭がくだけた水滴がとんでくる。
気持ちを引き締め、12時55分、花束を投げる。あっというまに、スクリュウがたてた泡波のなかに消える。
竹トンボ作り
Hさんの高級トンボのほうも、完成者があらわれる。
私の初級のほうは、4名程度。 この辺で、一息ついた方がよい?
心棒が不足したので、割り軸にかえてみたが、やはり、重たそう。
ドリアンパーティーに参加したあと、カラオケを覗く。KMさんもいらっしゃったので、意を決して、1曲100円リクエストしたが、みなベテラン揃い。赤面のなか、堀内孝雄の曲を歌う。
つづいて、シンガポール学習会。地元の教科書には記述されている、華僑虐殺について
数年前のTV報道番組を見なおす。深刻な内容で、星空観察会のことは忘れてしまった。
2004.07.24 (sat)第11日
今日の予定
9:00~10:00 デジカメ教室第2回
14:15~15:35 おまえのかあちゃん*** (鎌田慧)
絵はがき 作成
PRINTER 接続実験
今日は新聞の発行がおくれたためか(9時頃)、デジカメ教室は、思ったより参加者が少ない。その分、じっくりと説明ができた。
午後、ベトナムで買った絵はがきで、友人などに手紙。本日10時までにPBセンターに渡しておけば、寄港した際、投函してくれるとのこと。はがき150円封書300円のチケットシートを貼る。クルーズ中有効とのこと。便利な仕組みである。
鎌田さんの話をきいたあと、PRINTERの接続確認。右手前のUSB端子を使えば、よいことがわかった。テストとして、折り紙(四角の箱)の折り方を出力。
そのあとは、疲れのせいか、頭痛がひどいので、シャワーをあびて就寝。
ベトナム式金婚式にも参加せず。
2004.07.25 (sun)第12日 シンガポール入港
6:00起床 太極拳に参加。昨夜はゆっくり寝たので、頭はそこそこすっきり。
6:30 モーニングコーヒー
7:00 ヨットクラブで朝食(トースト、ヨーグルト)
本日の予定
13:40 オプションツアー(シンガポール知ってるつもり?)
20:30 帰船
シンガポール港は、南側から、入港。水先案内人が乗船。入港準備。
朝食を終えてデッキに出ると、真上にロープウェイ。右手には、大きなマーライオンが。SWさんのプレゼン用ファイルの編集を終え、デッキに再びでてみると、右舷側には、巨大客船。star virgo。 ファネルが、ロープウェイに触れそうな雰囲気。
バスツアーは、35名程度。空港に近いチアンギ刑務所にむかう。戦時中、日本軍捕虜収容所があったところ。戦後、BC級戦犯の収容所にもなった。現在は、大規模な、男子、女子に分かれた近代的な刑務所になっている。当然ながら刑務所の外ではあるが、隣接したところに、資料館があり、捕虜収容所時代の、日本軍の虐待状況を伝えている。オーストラリアの捕虜が多かったよう。two malarias with a cholera。二人のマラリアにかかった捕虜が、もっと重症のコレラにかかった人を助けようとしている絵。
オーストラリア人の手記が掲示されているコーナーに書かれていた。 「we shall never forget。」
近く、この資料館は、取り壊されるという。オーストラリア政府は、反対しているが、シンガポール政府は、日本を刺激するものは、無くしていく方針。シンガポール経済における日本の重要性が高まったからか。忘れてはならないものを忘れさせようとするみえない力の存在。
次に訪れた、孫文記念館。孫文が住んでいた場所だが、ここも数年前には、日本占領時代のシンガポールの様子が、2階フロア全体にあったという。我々が訪れたいまは、まったく無くなっている。
しかし、次におとづれた血債の塔(日本占領時殉難者の碑)をみて、シンガポールの人達の、本当の気持ちを感じた。市内中心地、最高裁判所の前、有名ホテルのそば、日本でいえば、皇居前広場のようなところに、天を抜くような、4本の柱が立っている。1942から45年までの間に、犠牲になった民間人を慰霊する塔。英語、中国語、マレー語、タミール語で書かれている。花輪を添え、全員で黙祷。
抗日の英雄・林 の碑も、マーライオンの広場のそばにある。多くの日本人がマーライオンを見に来るが、ここを知る人は少ない。(私も知らなかった)。しかし、シンガポール人が、これらの記念物を排除することはないだろう。
昨日、朝食の際、向かいに座った青年たちが、話していた言葉、「おれたちは、いつまで謝罪し続けなければいけないのだろう?」。この航海のなかで、わたしは答えを見つけることができるか?

2004.07.26 (mon)第13日
本日の予定はとくになし。折り紙の練習、PCでの絵はがき作成練習でもしてみる? WEB ACCESS もやらなければ。
船内新聞の発行が遅れている。手が足りないのだろうか。手伝いたい気がするが、のんびりもしてみたい。
WEBaccessは、結局できなかった。逆に、printerにて、絵はがき作成。
POWERPOINTで作成した。JPEG形式で出力する方法もある。
久美さんの手話教室2回目の参加。
四季、色、スポーツなど。おわったあと、名刺をわたし、挨拶。これからは、廊下であったとき、気軽に会話をしたい。
折り紙小箱にチャレンジ。資料のプリント出力が大変なので、PCの画面をみながら。
古今亭菊千代師匠の落語道場に顔を出す。開場10分前ごろから、ドアのまえには行列。人気のほどが伺える。客席の前のほうは、普段見かけないひとばかり。食事が2グループに分かれているので、顔を合わせることが少ないのか。話は、ピースボートとの関連、今回の予定など、そして落語は、「転失気」。真打ちとあって楽しいひととき。手話落語も楽しみ。手話の即席レッスン。「しあわせなら手をたたこう」。手話を覚えることの効用など。

2004.07.27 (tue) 第14日
6:00起床太極拳、ラジオ体操。
モーニングコーヒー。トレーニングジムにて、 9km/h 15min 10km/h 10min 7km/h 5min 4km,30kcal
7:30 朝食(ヨットクラブ)
今日の予定:
14:15-15:35 菊千代道場
19:45-20:45 わくわく寄港地エリトリア編
KMさんの部屋を訪問。一人部屋、バス付き。セミダブルベッド。43回に乗ったとき、すでに今回クルーズを、同じ部屋で予約したとのこと。費用は、わたしの2倍以上。
船尾で、海をながめる。マラッカ海峡もそろそろ終わり。隣で、やはり海をみていた人と話がはずむ。40年近く前、船員だったとのこと。世界一周をする予定だった航海が、中近東情勢悪化で、スエズを通れず、中断。いま、そのときの夢を実現しているとのこと。「海の好きな人は、スエズ、パナマをやっぱり通ってみたいですよね。」という言葉に、同感。
菊千代道場:落語界裏話(前座から大往生まで)
エリトリア案内:気温40度。ドライヤーを弱にしてあてている感じだとか。
日除けよりも、体内からの水分の蒸発を抑える工夫が必要。マングローブ植林を申し込んだが、抽選結果は、どうなるか。自由行動のまた、可なり。
同室のSDさんに誘われ、引き続き、軍事ジャーナリスト前田氏の話をきく。東アジア地域における新たな平和維持への取り組みを提案していた。一見(一聞?)夢のような話と思えたが、個々の事例について、具体的な可能性(私の知らない、各国の動き)を聞くと、100%否定するべきでもないと思える。
2004.07.28 (wed) 第15日
6時起床。太極拳、ラジオ体操、ジムは器具故障のため休止。モーニングコーヒー。
朝食(トパーズ)、久しぶりの納豆、味噌汁、ししゃも、卵掛けご飯。
本日の予定
13:00-14:00 核兵器はこうして裁かれた(ビデオ上映)
14:15- スリランカ上陸説明会(Bコース)
16:30-17:50 菊千代道場
21:00-22:20 スリランカ講演(内戦から和平へ)
午前中、自由時間。PCが、重たくなった。ドライブの占有が、3/4 になっている。マイドキュメントのなかで、船上では、不要のものを一時避難させる?
あす、9:00-11:00 まで、企画(竹トンボ)が、はいる。これで一応けじめとしたい。
午前中は、自由時間と思っていたが、KGさんたちが、ヘミングウェイ前(7階右舷最後尾)で、竹トンボ作りをはじめた。明るいので、作業はしやすい。指導が目的ではなく、自分たちが楽しみたいため。わたしも、コロンボにもっていくトンボを自製するため、参加。20枚ばかり削れた。
昼食は、牛丼。夕食も、和食膳なので、今日は、和食デイ。
国際司法裁判所で、核兵器が、国際法上違法であるとの判定がおりたときのビデオをみる。自分が不勉強なのだが、知らなかった事実。ジャーナリズムの一般的風潮に乗っているだけの危険性をあらためて感じた。「心ここにあらざれば、みれどもみれず。聞けどもきけず」
スリランカのコースは、田舎でホームステイ。同室の3人が、偶然同じコースを選んでいた。竹トンボ仲間も、3人が、同コース。「類は友を呼ぶ」?
2~3人で、家庭にはいって、丸1日、生活をする。言葉は、まったく通じないという。まるでウルルンの世界。生水を飲まないように。虫よけ対策を。というのが、注意事項。
菊千代さんの落語:日本語・韓国語を交互に話す二次元落語。演題は、松山鏡。
手話落語は、初天神。(ゼスチャいっぱいで、会場超満員の観客も大満足)
2004.07.30 (fri) 第17日 コロンボ入港。 デラ村でのホームステイが、はじまる。
6時起床。太極拳、ラジオ体操は、なし。
9:30出発 ホームステイ参加人員は、52名。2台のバスに分乗。わたしは1号車。中に入ると、窓側、通路側など内装掲示文字が、日本語。福井交通、車両番号までそのまま。右側前方の窓ガラスには、ヒビがはいっていた。日本の中古車をそのまま活用しているとのこと。そうおもって外を見ると、池田運送とか、田中商事といった名前をつけたまま、走っている車が多い。
ダラ村は、去年、水害に会い、そのとき慰問を兼ねて訪れたところという。今回も村長さんはじめ、熱心な要請があったそう。コロンボ市街をぬけ、鉄道にそって南下。東にむかう。3時間ほど。途中、昼食でレストランによる。トイレを使用する際は、紙を流さないで、脇の入れ物に入れるようにとの注意をうけたが、結果的には無用だった。日本とおなじ水洗式。本来のメニューのほうは、なかなか行ける。中央に、ライス(これも、味付き、赤飯、白飯と3種)を置き、肉、魚、野菜、豆などを香辛料とともに煮込んだ具(といってよいかどうか)を、周りに並べていく。(バイキング風)。食するときは、右手指4つを総動員して、具と飯をグチャグチャに押し込むように、よくまぜる。それを、つまんで、親指で、口中にはじくようにいれる。2種程度の具をよくまぜると、なかなかおいしい。デザートはバナナ。
2時近く、デラ村につく。出迎えの人達は思ったほど多くはない。日中なので無理もないか。途中、人里のあるところでは、人々がバスを珍しそうにみていた。こんなところに他国人がくるのは珍しい?(冷房付きの大型バスだから、目につくのはあたりまえ。)
ここで、ホームステイの行き先が、割り当てられる。緊張の一瞬(集団見合いのよう?)。わたしは、竹トンボのHKさんと二人で、カマラさんの家。(あとでわかったことだが、これはお母さんの名前。)3分ぐらい歩いて、家に到着。さっそく、ティーを頂戴する。これが目茶苦茶に甘く、ミルクがこってり。おいしかったが、お代わりはノーシュガー、ノーミルクを強く要望。それでも日本で飲む砂糖入りの紅茶の味。やはり甘い。汗をかいたので、シャワーはどうかと薦められる。せっかくの好意。なんでもみよう。炊事場を抜けると、裏庭。水道管が、柱にくくりつけてあり、頭上にジョーロ状の口がある。上からシャワーがでるようになっているのだが、コックがみつからないので諦める。下の方にある蛇口をひねると、生ぬるい水、段々温かくなる感じ、まさかお湯がでるの?とおもったら、またぬるま湯にもどる。さっぱりとはいかないが、タオルで、プラスティック桶の中の水を体に掛け、カラスの行水。現地の人は、下着をつけたまま、川で水浴している。パンツをぬらしてしまっては、着替えが大変なので、周りから見られてないことを確認して、すっぽんぽんで洗う。これで、一つ体験。夕方の交流会は、8時からなので、竹トンボ完成品をとりだすと、家族(近所の子どもも混じっている)じゅうで取り合いになり、あっという間になくなる。一緒に作ろうかと、ナイフをだすと、これも、欲しいとねだられる。かろうじて、今後の日程で必要な5個だけは確保。
折り紙で、箱をつくる。japanのbirdを作ってくれといわれたが、鶴の折り方は、とっさで思い出せない。知らないというと、逆に作ってくれた。ほかに、船、飛行機もいろいろ。概して、日本の折り方より、大雑把。
交流会では、地元に伝わる伝承舞踊を、子供たちが、はだしで、一生懸命に踊る。男子も女子もとても上手。仏教色豊かな、説教演劇も。地元出身の国会議員(女性)もやってきて、最前列でみていた我々に、一人一人握手を求められた。昨年、水害時の援助へのお礼か。援助金で、家を失った8軒が新築できたとか。
満月がきれい。帰り道では、蛍を数匹みかけた。
10時に帰宅。疲れたので、そのまま、就寝。衣服はきたまま。首、手、足には、虫よけスプレーをたっぷり。マラリアは大丈夫だが、テング熱に注意せよといわれたのを思い出す。
2004.07.31 (sat) 第18日 デラ村でホームステイ2日目
午前6時起床、お母さんは、すでに炊事準備。トイレに行きたくなる(大のほう)。
外は、薄明るい。便所のドアを半開きにしておけば、充分、用は足せるようだ。
きれいに便器を掃除してあるので、汚さないように慎重に位置を決める。
無事落下して、懐かしい音がする。たくさんでて、腹のなかが、すっきり。
後始末の紙は、落としてはいけない。脇のカンにいれる。これも汚さないように、畳み込んで。これほど、気をつかって排便したのは、はじめて。そういえば、船にのってから、便秘をしたことがない。
長男も起きてきた。今日も仕事。8時すぎに、主人も仕事に出かけるというので、短い別れ。
9時、集合場所の小学校の校庭にいく。校庭では、すでに、体育系交流会の準備がされていた。丸太にまたがっての叩き合い。先に落ちた方が負け。若い青年が九州男児の名誉に掛けてと宣言。見事勝ち抜いた。パン食い競争もどき。ボールあそび。鬼ごっこ。綱引きでは、勢いあまって、綱が切れてしまうハプニングも。
紙飛行機も人気。竹トンボは、昨日渡してしまって、手元にない。渡すタイミングを間違えたようだ。手品もとびだし、11時すぎ、別れの時がきた。村長さんの挨拶。ピースボート側は、北海道からきた10代の女の子がお礼のことば。
あとは、バスに乗り込むまで、個々に、ホームステイ先の家族などと別れを惜しむ。
ここで、わたしには思わぬハプニング。身につけているベストの胸元には、普段黒・赤のプラペンを指していた。男の子たちに取り囲まれ、プレゼントとして欲しいとねだられる。記録用の必需品なので、ノーノーを連発する。すると、「アドレスを書いてくれ」というので、紙に書いて渡す。そんなことをしていて、気がつくと赤のペンがなくなっていた。悲しいことだ。現地の責任者(日本語がわかる)にその場で事情をはなす。彼は周りにいた子供たちに、なにかいっていたが、当然のことながら反応はない。
責任者には、「I forgive 」といって、バスにのった。
子供たちの気持ちは、わかる。とくに、スリランカは、階級社会。貧富の差がはげしい。一日自由行動をとったひとの話では、買い物をしようと、紙幣をもったら、目の前に手がぬっとでてきてビックリ。物乞いの老女だったという。「もてるものは、持たざるものに与える」いわば、それがインフォーマルな社会保障になっているのだろう。
文房具をほしがるという。それだったら、100円ショップで、安いものをいっぱい買って与えればよいのかも知れない。しかし100円ショップの低価格商品は、同じアジアの国で作られる。なにか割り切れぬものを感じる。
フェアトレード(fair trade) という考え方をボランティアスタッフをしているとき知った。公正なる競争を目指すべきだが、可能かどうか。人類の英知が問われる。スポーツの世界でもフェアプレイは、一部失われつつある。
2004.08.01 (sun) 第19日
6時起床 太極拳(今日から大沢先生)、ラジオ体操。7時、ヨットクラブで朝食。デジカメ教室のOMさんと、雑談。スリランカでは、ヘラヘラ祭を見物したという。ピースボート一行は特等席で、大満足だったそう。約3時間にわたり、68頭の象が、着飾ってパレード。電飾を施した象もいたとか。
今日の予定:
12:15-12:45 ビデオ上映「砂漠を救う~緑のゆりかご~」
(日系3世ゴードンサトウ博士)
13:00 昼食(今日から2部制はなくなったが、ドアクローズ時間に要注意)
16:00-17:20 ミ塾出前教室(大沢則夫さん)
エリトリアでは、マングローブ植林に参加予定,そのための事前情報として、数年前のTV番組をビデオでみる。プロジェクト名は、「マンザナール」計画。第二次大戦中、日系米人の強制収容所の名前。そのときの体験を、博士は語りたくないという。しかし決して忘れることはないと断言。屈辱にみちたマンザナール生活をおくった人びとの名誉にかけて、プロジェクトを成功させたいという強い意志が、この名前をつけたのか。
シンガポールのチャンギ捕虜収容所に書かれていたオーストラリア人の言葉「we never forget」 を思い出した。しかし、救いはある。こうも書かれていた。「we can forgive them 」。わたしがデラ村の子どもたちにいったことばと同じ。
大沢さんの講座、第一回。評判どおりの楽しくためになる1時間あまり。
タイトルは,「みんなちがって、みんないい」。金子みすず の詩を手話で歌って終わりとなった。
今日は朝から船酔いなのか、気分が優れなかった。が、大沢さんの話を聞いて、なんだかすっきり。船酔い防止の秘訣は、「汗をだすこと」。なんでも、体のなかにあるものもだしてしまえばすっきりするという。
元気になったところで、9時からは、地域対抗歌合戦。出身地域ごとの予選を勝ち抜いた芸達者揃いが9地域18チーム。普段は、冷房が効き過ぎて寒いブロードウェイショウラウンジも、熱気と喝采に満ちあふれた。
2004.08.02 (mon) 第20日
6:00起床 太極拳(小用を思い出したのでラジオ体操は欠席) 6:30モーニングコーヒー 7:00トパーズで朝食。ご飯がまだ炊けてない。ホットケーキとベーコン。
今日の予定: 忙しい。まさに分刻み。
10:00-11:00 「福祉について語りませんか。」
13:00-13:00 大沢則夫の「まどろみタイ夢」
14:15-15:45 五代博士・眼の健康講座 同室者の企画。パソコン操作を手伝う
15:00-14:30 「紙飛行機教室」竹トンボ仲間主催、記録写真担当
16:00-17:20 「エリトリアに緑を」サトウ博士
(夕食) 17:45-
20:45- 「インド洋で波乗りワッショイ」湯川トーベン
眼の健康講座、紙飛行機は、前から協力を約束していた。そのため、大谷ゆみこさんの「つぶつぶ」を聞くことができない。残念だがまたの機会。
「福祉について語りませんか」
企画したのは、ボラスタ仲間。支援物資の調達の依頼電話を掛けまくっていた少女。
福祉関係の仕事につきたいが、迷っているとのこと。
参加したのは、40名近く。若い人、年配の人色とりどり。男性も大勢いた。
まずは自己紹介からと始めたが、1時間は、それだけで終わった。
民生委員をながくやっておられるが、最近の行政のあり方に疑問を感じているかた。
福祉施設に40年近く勤務されている男性。公務員から、いまは、デイサービスセンター長をやっているかた。高校の先生は、福祉を教育の場でどう取り上げたらいいかと悩んでいた。養護学校の先生。介護施設で働いている女性。介護職だったが、母親が痴呆になったので、職を止め、姉と二人で面倒みていたが、姉は心労で倒れ今でも入院している、という人。母が倒れたが、収入の問題があるので、自分は介護施設の勤務を止めるわけにはいかないという若い女性。子どもが、社会福祉士になりたいというので、どういうものなのか親として自分も知りたいという父親。福祉は「流行り」だからと、専攻コースに選んだという少女。それぞれ、さまざまな問題をもっている。
これから、このミーティングがどう展開するかは不明。しかし、社会の根底を支える必要不可欠なものとして、福祉を認識・理解していく材料にはなりそうな期待をもった。
わたしが、竹トンボその他の交流で、知り合った人たちも多く参加し、違った側面を知ったことも収穫。
「エリトリアに緑を」
ゴードン・サトウ博士が、夫人といっしょに乗船。マンザナールプロジェクトの紹介を自らおこなって頂いた。海岸線を砂漠で囲まれたエリトリアに緑の大地を育てるため、マングローブを植林している。しかし栄養分がないので、植えただけでは枯れてしまう。試行錯誤のすえ、肥料をプラ袋にいれ小さな穴をあけ、苗木といっしょに植える。金をかけず、エリトリアの人々自身の力でプロジェクトを進めている。通訳の関係で、博士の発言をすべて理解することはできなかったが、一見よぼよぼの老人のどこに、反骨精神にみちた、エネルギーがあるのかと驚かされた。大の国連嫌い。ODAのようないわゆる援助が、その国の人びとの真の生活向上に役立っていないと、草の根運動を展開している。プロジェクト名をマンザールと名付けた気持ちがわかる気がする。
あと数年でマンザナール計画からは手を引くことができそう。そのあとの活動については、「もう一つやりたいことがある。それで、終わりにしたい。もう疲れたと。」
博士のプロジェクトの実際は、8/7知ることができるだろう。
湯川トーベンさんの音楽は、結局聞き忘れた。
2004.08.03 (tue) 第21日
5:50起床 太極拳、ラジオ体操。モーニングコーヒー 7:10トパーズで朝食。納豆、生卵、ゆで卵、鮭の切り身。今朝も、水平線上は、雲があつい。天気は晴れだが、日光が差し始めたのは、7時すぎてから。水平線上には、360度船影がみえない。昨日は、朝方1隻みえた。
今日の予定
11:30 昼食
12:15~13:00 第3回デジカメ初心者集合
13:00~13:30 まどろみタイ夢(大沢則夫)
14:15~15:45 「ミ」塾出前教室No.2
16:00~17:20 9のちから(天野文子)
19:30 夕食(今日から後半食)
21:00~22:20 つぶつぶワールド
「9のちから」とは、憲法9条のこと。軍国少女だった天野さんが、原爆被災者の立場から、平和憲法の維持を、静かに信念をもって訴えられた。
「国家の最高法規たる憲法は、為政者の行動を規制するためのものであり、為政者の都合によって変えることはできない。」同室の元教師が、大学で法律を学んだとき最初に教えられたことばだという。いま、じっくり考える時期ではある。
「つぶつぶワールド」
いわゆる雑穀を中心にした食事をすすめる話。粒食の素晴らしさを紹介されていたが、やはり食べてみなければ。雑穀だけで、これだけクリ-ミーな料理になる、と評判だったが、クリームコロッケが嫌いなわたしには、どうも。あとで、胃の調子がおかしくなり、わたしには向いていないよう。
2004.08.04 (wed) 第22日
6時50分起床 太極拳は、欠席。ラジオ体操は強風のため中止。昨夜、時差調整1時間遅らせる。その作業の際の操作ミスで。アラーム設定が、6時55分になっていた。昨夜から、海が荒れている。夜なか中、大揺れ。梯子の位置を倒れないように直す。ただ、結果的に10時間寝たためか、頭はすっきり。船酔いの感触はない。ヨットクラブで、朝食(トースト、ミルク、オレンジ)ののち、船内新聞(「46's」よろずとよむ)にて、今日の予定を決める。
今日の予定:
11:00~11:30 手話教室(久美さん)
12:20~12:55 まどろみタイ夢(大沢則夫)
14:15~15:35 エリトリアを見つめて(ゴードンサトウ博士)
昨夜約束した、CD焼き込みをおこなう(16倍速で、約20分)
日記を書こうと、いつものたまり場(7階左舷後方、ブロードウェイ前)にいくと、すでにHKさんたちが竹トンボつくりの準備をしている。波の揺れが、ひどい。エリトリアでの交流で、竹トンボを飛ばすとのこと。自分は参加しないコースだが、10機ばかり作成して提供。手話教室に参加。参加者に出身地を聞いて、県名の解説。終わってから、くみさんから呼ばれ、わたしに「明日、中級をするのでぜひ参加してほしい」といわれた。覚えていてくれたのか、とうれしい気もしたが、実力を伴っていないので恥ずかしい。
昼食は、完食したが、ちょっと気分がすぐれない。船酔い止めの薬をのむ。ゴードンサトウ博士の話第2回目は、マンザナールプロジェクトを立ち上げたいきさつなど。 あいかわらず、強風。海は大荒れ。夕食では、気持ち悪くなったので、野菜の付け合わせなどは残してしまった。10時就寝
2004.08.05 (thu) 第23日
午前6時起床 太極拳、ラジオ体操。悪天候のため、ヨットクラブは閉鎖。朝食はトパーズで。(バイキング形式ではない)。船の揺れがひどく、あちこちで、食器の入った引き出しが飛び出す。
本日の予定
11:30~12:00 手話教室(中級) 昨日、くみさんから、参加しない?と薦められた。これは欠かすわけにはいかない。
13:00~13:30 まどろみタイ夢 昨日は、欠席してしまった。
14:15~ エリトリア上陸説明会 Cコース?
16:30~17:30 ミ塾出前教室 イヤシ手のココロ
17:30~17:50 おもしろCM発表会
昨夜、酔いどめ薬は飲まなかったが、なんとか持ちこたえた。朝、体操が終わるころには、頭はスッキリ。腹のほうのむかつきはあるが、許容範囲。海上のうねりはすこし納まっている。風が、弱い。太陽は、朝方は、薄日程度であったが、いまは、みえない。
昼食は、トパーズで。和食で、しっかり食べることができた。昨日とは、全く違う気分。人間の体は正直。午後からは、快晴。デッキにでて、久しぶりにプールで浮身。塩水なので非常によく浮く。上向きで、ばた足をしてみたが、疲れるばかりで、なかなか進まない。一往復で、一休み。デッキチェアーで体を焼く。そのあと、フィットネスジムで、ウォーカー。やはり靴下だけでは、足裏が痛い。10分で引揚げ。
のんびりしていたら、ミ塾出前教室とCM発表会を忘れてしまった。プリンターが不調。「通信ができません」となる。たまに、印刷されるが、再現性がない。なんとかしなければ。 KMさんの部屋で、新型PRに接続テストしたときの後遺症か?
今日は、フォーマルパーティー。後半食組は、7時半から。ビンゴ大会は、6時から。着替えるのが面倒だな。
フォーマルパーティーへは、あまり気が進まなかったが、ジャケット、黒靴で参加。女性陣は、サリー、アオザイ、など民族衣装。和服、洋服のひとも。きちんと着飾って、なかなかの見物。カメラを持参しなかったので、写真を取り損なったのが残念。男性のアオザイ姿(青年に多かった)もなかなか。スタイルは、女性とおなじ。
席を決めるとき、不用意にひとりぼっちになってしまった。それぞれ、気に入った人、グループで集まっているので、話がそのなかだけで盛り上がっている。割り込むわけにはいかないし、食事のほうも、一品多いことが逆に負担になってしまった。黙々と食べて席をたつ。
2004.08.06 (fri) 第24日
前日までの揺れが、まるでうそのよう。エリトリア・マッサワでの交流につかうのか、竹トンボの需要急増。約20基ばかり作る。今日中に、絵はがきを出さないと、明日は入港日。
スリランカの子どもたちへは、手製の封筒にまとめていれる。無事届くとよいが。
(後日注:エリトリアから送ったはがきは、自宅あてもまだ届いていない11/5現在)
手書きの住所録を作成。愛用のPDA(HP200LX)が使えなくなって、本当に不便。
2004.08.07 (sat) 第25日 エリトリア・マッサワ入港
6時起床。甲板にでてみると、すでに湾内に入っている。タグボートにて、ゆっくり、着岸。7:30 岸壁では、女性たちが、歓迎のダンス。
マングローブ植林ツアーの予定なので、バウチャーチケットを探すが、見つからない。
そういえば、代金を支払った記憶もない。集合時間になったので集合場所で、確認してもらうと、手続きをしていないので、キャンセル扱いになっている。すでに現地と諸手配を済ませているので、今からの参加は、無理とのこと。気を取り直して、自由行動をすることにする。現地通貨マッサワに両替。10ドル135マッサワ。1マッサワ=10円程度か。
同室のMさんも、自由行動とのことなので、一緒に行動する。
新市街と呼ばれるところまで、30分近く歩く。市街といっても店らしいものは見当たらない。おいしいと評判のミネラルたっぷりの塩を買いたいのだが。すれ違う日本人(もちろん乗船者)に聞いても店はないという。通りから外れたところに、人影がみえる。近づいてみると、現地の人々の店がたくさん。衣料品店、金物屋、八百屋。調味料を売っているいる店がみつかり、ソルトというが、通じない。奥の方に塩らしいものがあったので、身振りでなめさせてもらう。確かに塩だ。ドルは使えないが、現地通貨をもっていたのでやっと手に入れる。
帰り道で、海岸に植えたマングローブの苗木をみる。海草が絡みついて、葉が水につかっている。こうなると枯れてしまうそうだ。植えた後、この海草取りが、大変なのだとか。世界各国からの支援金は、海草とりの女性たちの労賃として支払われるという。
2004.08.08 (sun) 第26日
6時起床 太極拳、ラジオ体操。
昨夜は、咳がひどく大変だった。通風口からの風があたると咳き込むので、シーツをかぶると、体中から汗がダクダク。夜中にシーツを裏返すほど。体も気のせいか火照っている。9:30診療所にゆく。体温計で調べると、熱はそれほどない。36.4度。急性上気道炎との診断。咳止めと抗生薬をもらう。初診料4000円。
今日は、できるだけ、おとなしくしていよう。
今日の予定:
11:00~11:30 手話教室
13:00~14:00 ISとしゃべろう(イスラエル編)
2004.08.09 (mon) 第27日
7時起床 6時に目は覚めたが、だるいので無理をしないことにした。
デッキにあがる。すでに太陽を洋上高く上がっている。朝日はきれいだったとのこと。
2004.08.10 (tue) 第28日 スエズ運河通過
6時起床 太極拳、ラジオ体操。昨夜も咳き込みは、ひどかった。ただ、汗はかかなかった。その分寝やすかった。すでに、ポートスエズに停泊。コンテナー船が、どんどん通過していく。風が涼しい。8分パンツ。半袖では寒く感じたので、トレーナーに着替える。
スエズ運河を通過。左岸の緑と右岸の砂漠が好対照。緑はすべて人工灌漑によって維持されている。
2004.08.11 (wed) 第29日 エジプト・ポートサイド入港
4時45分起床、出発の準備。5時15分ブロードウェイラウンジに集合
参加するJコースは、「ギザのピラミッドとカイロ考古学博物館」。超人気で、総勢600人弱。9台の冷房トイレ付き大型バス。
ポートサイドからカイロまで160KMを3時間のコンボイ移動。バスの列の前後を、エジプト観光警察の車がつき、途中も信号はすべて青。ノンストップで進む。ルクソールの事件以来、地元が考えた方式。途中も銃をもった警官が、要所で検問。こんなVIP待遇は、はじめて。
カイロでは、考古学博物館を見学。カメラ持ち込み禁止。ミイラ室で7体のミイラをみる。日本の即身仏と似ていた。
ピラミッドは、すぐ近くまで街がせまっている。観光するには便利。昼食のレストランから窓越しにみるピラミッド。しかし、ちかづいてみると、やはり巨大さに圧倒される。スフィンクスのそばでは、子どもたちが、絵はがきを売っている。ワンダラー。ワンダラー。
2004.08.12 (thu) 第30日
7時起床そのまま、ヨットクラブで朝食。今朝は、5時前に一度目をさまし、小用をすませたが、そのまま寝込んでしまった。
明日は、ピレウス(ギリシャ)入港。忙しくなる。風邪はまだ直らない。薬は、今日で切れてしまうので、9時15分ごろ、診療室にいく。診療開始は30分からなのにすでに5名以上待機。待ち合わせ室に入れない。熱はとくにないので、同じ薬を5日分いただく。
午前中、ヨガと手話の自主企画参加するつもりだったが、絵はがきの作成(スエズ運河通過、ピラミッド見物)の編集で、午前中をつかってしまった。12:00昼食は、トパーズで、カレーライス。ビーフ味だった。
午後は、はがきの宛て名書き、文章記入。2時15分からの上陸説明会までにぎりぎり間に合う。アテネは、厳重警戒のようす。技術士のKMさんと逢う。咳止めに「ういろう」を頂く。日程は、KMさんもわたしとおなじ。一緒に行動をとることにする。アテネ2日目五輪観戦のあと、ピレウス円形劇場でのピースセレモニーに参加するかどうか、迷う。体調がいまいちなので、遠慮することにした。
説明会が、終わってから、PBセンター前で、「水差しのふた」の女性と出会う。この間、似顔絵を書いてくれた人。絵に感想をつけたから、とわたしにくれた。
福祉のはなしのときにも、同席されていて、養護学校の先生だと、自己紹介されていた。名前を忘れていたので再度名刺を頂く。関西のHさん。私の自己紹介についての感想だという。なにを話したか、はっきり覚えていないが、要旨はこうだったとおもう。
自分は「福祉」という言葉がきらいだ。子どものころ、生活保護を受け、福祉事務所の対応で、いやな思い出があるからかもしれない。生きるために、自分は勉強した。それが一番安上がりだったから。会社に入っても家族のため、主義信条は無視し、働いてきた。会社を止めるとき、ふとある出来事が心に浮かんだ。
自分は管理職だったが、有能の部下が辞めたいという。理由を聞くと「自分を必要とする子どもたちがいるから」。それを聞き、わたしは彼に翻意を促すことはできなかった。
会社によって生きる糧を得ている人間から、社会によって生かされている人間に変わるとき、この出来事を思い出した。地元のサークルで、福祉ボランティアをしてみて、自分自身が、楽しく生き生きとなっているのを実感している。
これに対するHさんの感想は、私の意図を超えるうれしいものであった。
ここで、引用させていただく。
(以下引用)
福祉の話で、自己紹介された内容に感動しました。「持続可能な発展」できる社会は、ひとりひとりがその能力を伸ばすことのできる社会、底から上流できるマントル対流みたいな構造をもつことのできる社会であること。貧しさの中で食べるために、子どもも働かなければならなくても、学ぶことを保障し、職業について社会の発展に寄与して生きて、エジプトで日本の電器製品は、”ホンモノ”と言われる状況をつくれるようにした。20世紀後半にジャパンミラクルといわれた時にめぐり合わせたように、ダナンの、コロンボの、マッサワの、カイロの子どもたち! 21世紀の世界が、同様に保障できる社会になりますように!
(引用終わり)
戦死した父のことを、「帝国主義の犠牲になった」かわいそうな人と表現したとき、「お父さんは、そんなつもりで死んでいったのではない」と悲しい顔をした母を思い出した。
自分自身、産業戦士となって、高度成長の一翼を担った自負と、その影で、ひずみにあえいできた人あるいは国への悔悟が折りまざった気持ちをこの航海のなかで抱いていたが、母のいう「父の気持ち」が私の気持ちに折り重なってきた。
「持続可能な発展」 福祉の世界でも必要な概念だとおもう。
19:30 T君にPC&PRを貸すことを約束。就職活動で、日本の会社に履歴書を送りたい。PCが壊れているが、今日中に仕上げて、明日ギリシャから郵送したいとのこと。PRが不調であることは伝えたが、さきほどの、絵はがき印刷はうまくいったので、チャレンジ。しかし、ケーブルに触った拍子に通信ができなくなった。急遽、予備にもって来た旧式ノートPC(versa)を使うことにした。BLACKで、なんとか印刷はできた。
22:00 星空観察会に参加しようと、ウィンジャマールにいってみるが、だれも居ない。中年の男性と一緒に、船首デッキにいってみる。星空がきれい。北斗七星が、左下に、右にカシオペアがある。水平線ぎりぎりまで、星がみえる。気持ちよくって、仰向けに寝てしばらく眺める。風がきつくなったので、部屋に戻る。鍵を開けようと、ポケットを探ると、IDカードやクレジットカードをいれたビニールケースがない。懐中電灯を借りて、デッキに戻り先程横になったあたりを探すが、見当たらない。風で飛ばされてしまったのだろうか。レセプションにいって見たが、届け出はないという。とりあえずIDカードだけ失効にしてもらう。
2004.08.13 (fri) 第31日 ギリシア・ピレウス入港
6時55分 起床。デッキにでて、昨夜紛失したIDカードを探すが、みつからない。
太極拳、ラジオ体操をする気にはなれない。
ヨットクラブで、軽くトーストを済ませたあと、レセプションにて、クレジットカードの手続きについて聞く。マスターカードの番号を控えたものがみつからないが、ジャパングレースへの登録とおなじなので、調べればわかるだろう。
マスターカードの連絡先を聞く。フリーダイヤルで、言葉の問題はないとのこと。
上陸して、テレフォンカードを購入し、テレフォンボックスをつかえばよいことがわかった。
部屋にもどり、荷物の再確認。現地紙幣を55ユーロだけ財布にいれる。予備のVISAカードももつ。OPの集合は、13:15。午前中いっぱいは、誰かが届けてくれることを期待して待つことにする。が、再度、昨夜および今朝探したはずの船首デッキを調べ直す。9時15分、右舷より奥の方に、クリヤーブックがみえた。左舷よりの縁、青色の水溝の奥の方をみると、なにかがある。
よくみると、ピースボートのロゴ。あった!!。開けてみると、自分の写真。よかった。すぐ、レセプションに報告。IDカードのロックをはずしてもらう。VISAカードは、もとにもどし、念のため、両カードの番号を、メモしておく。
2004.08.14 (sat) 第32日 今日は、オリンピック観戦。
Kさんと一緒に行動。ユーロは、20ユーロしか財布にいれてなかった。カードは、VISAしか使えない。Kさんから、40ユーロ借りる。会場は、アテネ郊外。まわりは、新興住宅地。建築中の家が目につく。プログラムを購入。5ユーロ。女子48KG級のほかに、男子60KG級もあった。どおりで、野村応援団の人が大勢目につく。
予選では、席を交代して、あちこちフリーで、各国応援の様子をたのしむ。韓国とギリシャが、同じサイドだった。韓国は、太鼓を持ち込み、打ち鳴らす。たしか、楽器持ち込み禁止だったはずなのに。(決勝戦では、注意があったのか、太鼓の音は聞こえなかった)
野村選手は、勝負がはやい。撮影の用意をしているうちに決まってしまう。
後半は、敗者復活戦なので、昼食休憩にはいる。昼食は、スタンドで、サンドウィッチとパイ。ピザが食べたかったが売り切れ。ビールで流し込む。味はいまいち。
会場の外壁、日差しがあたらないところで休む。なにしろ暑い。整理の都合か、決勝戦は、別チケットなので、会場から追い出される。外には、若干のテント食堂があり、コーラなどを売っているが、とても入りきれない。決勝戦だけ見にくるグループも続々。約1時間の炎天下は、きつかった。
決勝戦での座席は、なぜか、私たち数名だけ、ピースボートのグループから離れ、野村応援団と一緒。応援団の世話役らしき人が、こちらをキョロキョロみている。野村選手の家族の席をまとめてつくりたいようす。「よろしかったら、替わっていいですよ」とこちらから申し出て、席を交換。私の席には、野村選手のお母さんがすわった。報道陣がつめかける。お父さんに試合前の感想を聞いている。お母さん、奥さん、妹さん(お姉さん?)は、回りの人の激励に笑顔で応える。
ヤワラちゃん応援のつもりだったが、野村選手応援団に早変わり。真紅の団扇を振り回す。mikihouseのロゴ入り。一戦勝つごとに、周囲は大興奮。決勝戦、モンゴルとの試合は、1本を決められなかったが、油断しない堅実なもの。押さえ込んで、残り時間10秒を切ると、カウントダウンが始まった。5・4・3・2・1。決まった瞬間、わーという歓声。報道陣が、盛んにシャッターをきる。わたしも振り返ると、お母さんは、泣き崩れている。お父さんは、しっかり前をみているが、目には涙があふれている。
ヤワラちゃんの金メダル。野村選手の金メダル。周囲の期待を一身に背負っての、メダル獲得は、超人的としかいいようがない。休憩中の酷暑を補ってあまりある、アテネの一日だった。
肝心なときに、スナップが、テブレ、ピンぼけ。記録はきちんと出来なかったが、脳裏に刻んだ光景は忘れることがないだろう。
2004.08.15 (sun) 第33日
午前6時20分起床 太極拳はまにあわず。ラジオ体操のみ。朝食は、ヨットクラブ。いつものパターン。(トパーズでは納豆があった様子だが後の祭り)。養護学校の先生のHさんといっしょ。SDメモリからのCDーRW焼き込みを頼まれる。7時30分からと約束。同年配の男性(会話は初めて)と雑談。昨日の五輪観戦のはなしで盛り上がる。
ピースボートは2回目の乗船。前回は44回南回り。ヒヤリとしたことが3回あった。
1回、現地の若者に道案内され、市内散策したが、老夫婦との待ち合わせ場所についてみると、居ない。若者は、回りの人に聞いて、すでに帰船したようだという。信じられないので、待っていると、老夫婦があらわれた。あのとき、若者の言葉を信じていたら・・・。その若者に、感謝の意をとおもい、1ドル差し出したら、逆に少なすぎると怒りだした
2回、買い物をするとき、カードを渡したが、相手は受け取っていないという。押し問答しているとなんだか、本当に渡していないような気になってくる。カードにパスポートと書いてあったことを思い出し、パスポートというと、返してくれた。帰船時間は迫ってくるし、気が気ではなかった。
3回、南の島。安全といわれたところで、オートバイにのった若者にひったくりにあった。幸い、バッグには、買い換えようとおもっていたカメラがはいっていたぐらい。航海の最後にちかかったので、撮影の必要もあまりなく、被害は最小だった。
話に夢中になって、約束の時間を過ぎてしまったが、CD-Rを焼く。Kさんもやってきて、CD-Rの追加焼き込み。Kさんからは、写真データを一部いただく。テブレ、ピンぼけ分の補充になる。
昼食は、トパーズで。向かいの若い女性が、明日イタリアから、一人でオーバーランドツアーをしたいといって、隣の老人に相談していた。あまり語学も達者ではない様子。旅慣れた感じの老人は、あくまで自己責任ですよ。自分としてはお薦めしない。といっていた。女性は期待した返事がこないので不満そう。わたしも危険極まりないと感じたが、船内には、こういった冒険心あふれる女性がいっぱい。
2004.08.16 (mon) 第34日 イタリア・カタニア入港
今日は、シラクーサ1日観光。骨休みのつもりで選択したのだが、実態は?。
前日の説明会で、暑さが厳しいといわれ、恐れをなしたのか、100名参加の予定が当日は、80名。3台のバスなので、20名程度。席は、ゆったりできたのだが。
シラクーサは、。アルキメデスが、うまれ、亡くなった地。ローマ軍に征服されるまでは、ギリシャ人による都市国家。考古学地域と呼ばれる場所の見学。広さはそれほどでもないのだが、日陰がなく、暑さがこたえる。帽子を濡らして、涼をとろうとするがあまり効き目はない。こうして、午前中が過ぎ、午後は、ギリシャ時代からの寺院がならぶ島(といってもちっちゃな橋を越えるだけだが)にいく。期待していたアルキメデスの墓には、行けなかった。
考古学地域では、シアターとよぶ半円劇場、アンフィシアターとよぶ円形劇場の遺跡を見る。シアターは声がよく通るように設計されている。一方、アンフィシアターは、闘技場として使われていたとのこと。
2004.08.17 (tue) 第35日
7時 起床 ラジオ体操、太極拳は休み。
昨夜、時差修正あり(1H遅らす)。昨日の一日市内観光は、きつかった。
おかげで、風邪が再発。午前中は、寝ることにする。レセプションで、体温計を借り測ると、36度4分。微熱。今後のOT(オプションツアー)の見直しを検討。1寄港地、1オプションに絞る。キャンセル料がとられない、ベルファスト以降、ニューヨーク、バンクーバーの観光コースをキャンセルする。あすは、診療室にいこう。
午後、たまっている写真を整理。ギリシャの2日間の絵はがき作成。黒インクがなくなる。スペアがもうない。洋上絵はがきも、セーブしなければ。インターネットカフェに、ライトがついた。これで夜間もアクセス可能となる。WEB通信に切り換えるしかないかな。
2004.08.18 (wed) 第36日
7時30分起床 ラジオ体操、太極拳は欠席。朝食は、ヨットクラブ。果物はバナナ。
昨夜は、サンザンだった。咳がひどく、汗もダクダク。シーツがびっしょりになってしまった。
今日の予定:
9:30~ 診療室
11:00~11:30 手話教室
14:15 タンジェ上陸説明会
16:30 占領と二つの社会
と予定していたが、全部欠席。ベッドに寝たまま。
2004.08.19 (thu) 第37日 モロッコ・タンジェ入港
7時すぎ起床。オプショナルツアーは、スキップ。前日キャンセルしようとしたが、午後5時を過ぎていて、ツアーデスクはしまっていた。11時ごろ、自由行動組が動きだす。11時より昼食のサーブがはじまったので、食事をしてから、モロッコの土地に降りることにする。日差しはきついが、風は涼しく、しのぎやすい。船がついたところが貨物埠頭なので、ゲートまで15分近く歩かねばならない。途中に漁船の船着場、水産倉庫がある。たぶん日本などへの輸出用だろう。冷凍施設、処理施設は近代的なものが並んでいる。現地向けは、そのまま陸揚げか?港のゲート前は、メジナ(旧市街)。迷子にならないよう、地図にある教会を目指して、メジナの中を進む。急坂。狭い道。肩がすれあうような人ごみ。道端には、野菜くずなどが散らかっている。日用雑貨、洋品、食品、香辛料店などが、並んでいる。脇に入れば、奥に市場が続いている。入ってみたい気もしたが、体調がよくないので、自重してメインストリートのみを進む。好奇心は、体力に比例するものかもしれない。角角で、振り返り、戻り道を確認する。メジナのなかでは、現地の人も道に迷うらしいし、アラビア語、スペイン語しか通じないとあっては、慎重すぎるにこしたことはない。雑貨屋で、チリ取りをみつける。価格は15ナクファとかいっていた。ユーロでは?ときくが、よくわからない。ユーロで50セントを渡すと、タメツスガメツながめて、納得したようす。1ユーロ150円程度のはずだから、75円。こちらとしても納得。このプラスティックのちり取りは、浴室の水はけが悪いので、その始末に欲しかったもの。20分ぐらい歩いて、教会の前に到着。教会の扉はしまっていた。ロータリになっている。記念写真をとり、相棒と別れ、一人でもどる。
2時前に、帰船する。シャワーをあびて、缶ビールをのむ。これはうまかった。気持ちよく、またひと眠り。夕方、目が覚め、デッキにでてみると、岸壁に絵はがき売りが。記念になるものが、ちり取りだけではまずいので、再度上陸。絵はがきを数点購入。他に土産売りが、数人いたが、気のそそられるものはなかった。
ここ1週間体調が悪いことにかこつけてか、企画にも参加せず、日記もつけず、手紙も書かずと、無為の時間をすごしてきた。なにをするにもおっくう。ベッドで横になっているのが一番楽。「船の中は、一つの街のよう」といった人がいたが、この航海、船での時間は、私自身の人生の縮図のような気がする。がむしゃらに気張って生きてきた、少年時代。一流会社への就職というそれなりの目標を達成したときの脱力感。東京オリンピックを虚ろな心でながめた時が、いままさに、出発後、各種企画に参加、一段落し、ギリシャの地で、2つの金メダルを日本の青年が獲得したのと目撃したあとと、重なりあっている。
2004.08.20 (fri) 第38日
7時起床 昨日ゆっくりしたせいか、体は好調。朝食は、トパーズで、納豆、焼き魚、生卵。食後、船尾デッキで、スペイン側陸地を望む。大西洋側で、イルカを発見。
船首にまわると、軍艦鳥?が、ついてくる。写真撮影を試みるが、これは失敗。
シラクーサ(8/17) タンジェ(8/19)の写真を整理。今日から、3日間じっくり静養して、ドーバー以降に備えよう。
昼食は、トパーズで中華丼。食欲が進まないので、魚コースも味気なく、豚のどんぶりにした。午後、7階ソファーで休んでいると、「右舷に鯨がみえた」との船内放送。いそいでデッキに上がってみると、大勢の人々。口々に「どこどこ」。結局、鯨が見えたというひとは、だれもいなかった。
16:00 気分がいいので高橋和夫さんの話をきく。テーマは「イスラム」について。西洋人が、なぜ鯨にこだわるのか。聖書に鯨の話がでているからだそうだ。あらゆることの根底に宗教が影響しているようだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、同根だということ。最後発のイスラム教は、先輩のキリスト教に対し敵愾心は抱いていない。キリスト教のほうは、後輩を迷惑がっている。という話だった。
夕食は、トパーズで、和食御膳。いなり寿司と、五目うどん。船上はじめてのうどんに舌づつみ。19:00より久しぶりにシアターで、映画鑑賞。ところが、30分ほどして急に胸のみぞおち辺りが、しめつけられる苦しさ。胸をさすりながら、レセプションに相談。看護婦は、往診中なので、戻ってきたら部屋に連絡するとのこと。部屋で休む。胸の苦しさは納まってきたが、違和感はのこる。19:40ごろ電話がくる。心電図、聴診をとる。すでに症状が、納まっているので、なんともいえないが、心筋梗塞の状態ではない。軽い狭心症か。万一にそなえて、ニトロ錠をもらう。苦しくなったら、舌の裏でとかす。診療室にも連絡するようにとのこと。風邪のほうは、順調に直っているようす。咳もほとんどでない。
2004.08.21 (sat) 第39日
午前6時56分起床 ラジオ体操、太極拳には、あいかわらず間に合わない。
ヨットクラブで、朝食。すでに、太陽はたかく上がっている。涼しい潮風が、ここちよい。海は、かるいうねりがあるだけ。白波も立っていない。遠くに貨物船が数隻みえる。空には、秋をおもわせる雲がたなびいている。数日前の雲一つない夏空がうそのよう。
今日の予定:
11:00~11:30 手話教室
12:00~ 昼食
14:45~ ドーバー上陸説明会
16:30~ 世界に平和はいくつある?
17:45~ 夕食
21:00~ 北アイルランドと紛争解決
21:00までに 新聞記事「どうだったアフリカ」提出
「世界に平和はいくつある?」
西ドイツのNGO団体 PEACE COUNTS の活動紹介だった。紛争や破壊の記事は、ジャーナリズムに取り上げられやすい。しかし、刺激的な暴力的な映像だけで、人々の心は休まるだろうか。平和に対する静かな取り組みを取り上げ報道することを続けている団体だ。タイトルバックに書かれた言葉。「森が育っていくときは静かだが、木が倒れるときは大きな音がする(チベットの諺)」が印象的だった。
「北アイルランドと紛争解決」
宗教的側面からのみ報道されることが多いが、経済戦争、権利闘争として理解すべきである、というのが解説者の意見。それはわかった。だが、解決策は???。アイルランドの人達自身の解決努力が進んでいることが救い。
2004.08.22 (sun) 第40日
7時30分起床 食事の案内放送でとびおきる。体のほうは、順調の感じ。食事がおいしい。納豆、生卵で、2杯たべた。
プリンターインクの補充分がみつかる。作成済の絵はがきを印刷、今回は、家族にだけ発送。ひさしぶりに、企画ものに顔をだす。海上は、穏やかだが、鉛色。遠くに10隻ほど貨物船がみえる。空は、全面薄雲。地中海の太陽がなつかしくなる。(現金なものだ)
女子マラソンで、野口選手が金メダル。うれしいニュースが掲示板に貼ってあった。新聞、テレビ、ラジオをみないので、世間の状況は、ほとんどわからない。短波放送で、毎日ウォッチしている人もいるが、ニュースを知りたいとも思わない。
2004.08.23 (mon) 第41日 イギリス・ドーバー入港
6時起床 6時30分トパーズにて朝食。7時 50ドルパックを2セット両替する。52ポンドになる。7時30分 様子をみに、ゲートをでてみる。長袖と薄手のジャンパー、じっとしていると寒いが、動けば心地よい涼しさ。8時帰船。天候は、曇りときどき雨。いまのところ降ってはいない。
本日の予定:
オプションツアー 芸術の都ロンドンをいく。 最終見学地で、離脱を予定。
夕方のロンドンを散策したい。
8時45分の出発だが、舷門の移動があり、9時過ぎ出発。29名 バス1台。(募集は、40名)ゆったり座れてちょうどいい。約2時間。ハイウェイ(といっても無料)を、ロンドンにむけてひた走る。ドーバーの白壁は、石灰質ではあるが、岩ではなく、石のまじった土。非常に崩れやすいとのこと。ウォーレスコレクションを見学したあと、ホテルの1階のレストランで食事。おきまりのフィッシュ&チップス。あまり評判がよくないようだが、私にはおいしく感じた。おいしいというより口にあう。癖がなく、量がおおい。つぎがナショナルギャラリー、最後がブリティッシュミュージアム(大英博物館)。どこでなにを見たかは、わからなくなったが、ただただ展示の豪華さに圧倒。ナショナルギャラリーでは、集合時間を15分間違え、皆に迷惑をかける。大英博物館では、離団するよう届け出。約1時間ではとてもたりない。16:20からさらに1時間半。18:00ごろまでみる。
そとで、PBの女の子にあい。ドーバーまでの帰り方、時間などをきく。20ポンドかかったという。ヴィクトリア駅からは、19:34発があるということを聞いて、別れ、ぶらぶらと市内見物。地図は、途中地下鉄構内をとおったときに入手していた。このまま、南にいけば、国会議事堂、ウェストミンスター寺院。そこ西にいけばヴィクトリア駅。ハイドパークにも行きたかったが、方向が逆なのであきらめる。テームズ河畔で、手洗いをみつける。清潔。ホットドックは、2.5ポンド。高い!。あわててケチャップをつけるのを忘れた。食事をとおもったが、ポンドがほとんど無くなりかけている。マックに入る。パンがおおきいのにびっくり。コーク、ポテトチップをつけて、4ポンドちょっと。これでなんとか、帰りの電車賃は大丈夫。
ビクトリア駅についたのが、7時15分頃。ticket売り場をさがす。順番をまっていると、窓口を放送および、電光掲示板で知らせてくれる。窓口にはマイクがついていることを知らず、大声をだし、なかの係員が、耳を抑えてびっくり。とんだお上りさん。ターンテーブルになっていて、料金をおくと、回転。チケットとお釣りが、また回転してでてくる。乗り場をさがしたが、どの方向か見当がつかない。あと出発まで数分。あせってくる。近くの女性にきく。係員にきいてくれ。係員にきくと、方向をさし、1、2、7という。その方向にいくと、自動改札口があった。チケットをいれ、でてきたチケットをとりあげると、シャッターが開く。ホームがいくつかあり、列車もいくつか。どのホームなのかわからない。また、係員にチケットをみせる。この電車でいいという。のりこんだが、ちょうどラッシュで座席がない。つぎの箱にむかう。ドアのスイッチにふれると開くしくみ。2両目で、1つ空席をみつけて座る。車両のなかの電光掲示板に、なにやら、途中で箱がきりはなされる。ドーバー行きはうしろの車両らしい。自分がのった箱が前か後ろかわからない。隣のサラリーマン風の男性にきく。彼も、掲示板をじっとみて、ここで大丈夫だといってくれた。これで一安心。ドーバーまでは帰れる。正式な名称は、ドーバープライオリ駅。そこから、ゲートまで、確かシャトルバスがあるはず。資料をしらべる。なんとシャトルバスは、16:30まで。とっくに過ぎている。やむを得ない。歩いてかえろう。すでにポンド札は1枚もなくなっている。
ほとんどのひとは途中駅でおり、ドーバーでおりたのは、数人。そのなかに、PBメンバーらしいグループがいた。そとで、後ろから声をかける。船に帰る方向をきく。彼ら3人は、途中食事をするということなので、ガイドの地図をいただいて、また一人でもどる。地図があって助かった。徒歩約30分。帰船したのは、10時を過ぎていた。
2004.08.24 (tue) 第42日
7時起床 トパーズで朝食(玉子焼き、鮭、味噌汁)天候:雨。堤防のそとは、波高し。明日以降が思いやられる。午前中は、部屋で、のんびり休む。12時の昼食をトパーズで、たべた後、ドーバー市内見物にでる。
船はクルーズターミナルの一番はずれなので、市街まで30分近くかかる。豪華客船クリスタルシンフォニー、レガッタが、途中の埠頭についていた。市内の公園では、PBの人びとが、写真撮影。2000年の歴史を誇った英国の玄関口ドーバー。英仏トンネルもでき、かつての繁栄はのぞむべきでないが、落ちついた港町。船好きにはたまらない。じっくり1週間ほど滞在したい気になる。ドーバー城は、小高い丘の上。城壁、城門、砦、灯台、16時が帰船リミットなので、すべてはとても見切れない。14時半ごろ、城をあとにする。帰りは、ハーバーのほうをまわる。セーリングヨットで、楽しむひとびと。いいなあ。
2004.08.26 (thu) 第44日 ノルウェイ・ベルゲン
7時起床 8時ベルゲン港入港
本日の予定 :ベルゲン1日観光 9時~17時
Kさんといっしょに行動。バスは5号車。ハンザ博物館を見学し、ブリッケン山にケーブルカーでいく。近代的設備。乗車券は、レーザースキャン。カードの入れ方により認識がうまくできない。前の老人のカードも認識しない。試しに私が後ろからカードをいれたら認識し、バーは開いた。老人は、そのまま中に進む。もう一度私がカードをいれたが、2度目はNG。あわてて先の老人を呼び止め、乗車券を交換してもらう。
ノルウェイが生んだ作曲家グリークの家の土産売り場では、ひと騒ぎ発生。下の売り場で、Kさんが、折り畳み傘を16ドルで購入。同行していた女性も購入しようとしたが、売り切れとのこと。上の売り場にあるという。上で購入しようとしたら17ドルだという。下では16ドルだといっても聞かない。結局、女性は、20ドルだして、購入した。クローネのお釣りがもどったが、傘はすでに渡したという。(Kさんの傘をことをさして。)Kさんの傘は下で買ったものだ、」というが伝わらない。通訳に手伝ってもらって、やっと傘はうけとったが、こんどは女性が、やはりドルでお釣りをほしいといいだした。売り子の女性は、NO。Kさんも入って交渉。女性が財布をしらべると、7ドル札があった。7ドルとクローネのお釣りをもどすから、10ドル返してくれという。売り子はNO。では、傘を買うのも止めるといったが、NO。騒ぎがおおきくなって、結局、売り子が、怒った様子で、10ドル札をたたき返した。
購入する際の言葉の行き違いもあったのかもしれない。冷静に考えると、売り子の行動は、筋が通っていたようだ。一つの取引にKさんと女性が関係して、状況がうまく理解できなかったのかもしれない。kさんが下で買った傘の料金を上で払ったと理解したのかも。ただ、その場に私もいて、Kさん、女性のほうに味方する気になった。
認識のちょっとしたことから生じるミニ文化摩擦を経験したことになる。
OT(オプショナルツアー)は、5時15分ごろ終わった。帰船リミットは、9時なので、5時30分夕食を食べてから、市内に買い物に出かける。反対側の埠頭にとまっている帆船が気になる。約30分で、帆船のもとにつく。船尾の国旗は、どこの国だろう。海軍のような服装をしたひとが、大勢。デッキに上がれるようになっていて、入館料のような表示が。ユーロで見せてもらえるかとゼスチャで頼む。だめだと、首を横に振る。一度諦め掛けたが、もう一度頼む。甲板上の先輩らしきひとに聞く。3ユーロでOKとなった。なかにはいる。ノルウェイの家族づれとすれちがう。船内に矢印にしたがって進む。展示室がある。その奥では、ビデオ映写会をしていた。展示室の掲示をみるうち、この船が、ロシアの練習船だとわかった。ソ連時代、ギネスブックに、稼働中の最大練習船として登録された記録が置いてあった。20分ばかり、を過ごす。よい思い出になった。甲板にあがり、若い船員にたのんで、一緒に記念撮影。船員が、「どこからきたのか」と英語できく。ジャパンと応える。船は?というので、向かい側をさして、「トパーズ」。「もう死んだけど、父親が船員だった」といって別れる。
2004.08.27 (fri) 第45日 フィヨルド遊覧。
7時15分起床 食事の案内放送でとびおきる。ズボン下、ダウンジャケットと最大限の防寒対策をして、甲板にでる。雨は降っていない。晴れてはいないが、よしとしよう。寒さは、それほどでもない。
今日は、ビデオ撮影にチャレンジ。どんな具合になるか。
想像していたような、切り立った絶壁は、少なかったが、緑ゆたかな、フィヨルドの一面を楽しむことができた。こんなところに、という場所にも家がある。
予定より2時間ほど早く、11時には、フロームにつく。1時間ほど止まって、船首をまわし、帰路に。1時半ごろ、いま起きたばかりという女の子に出会う。もう戻ってるんだよというと、驚きかつ残念がる。
さきほど船内放送があり、昨日までの予定では、2つのフィヨルドを見物するはずだったが、パイロットの指導で、このまま、北極圏にむかうという。後半悪くなった天候が原因か?。金曜日なので、マラリア予防薬をのむ、あと1回。(とくに副作用はない)
夕方、食事をとっているときに、夕日がさし、虹がみえたという。
それまでおだやかな海上が、8時すぎごろから、揺れがひどくなる。船内放送でも、危険なのでオープンデッキにでないようにとの注意。9時からシアターで、映画鑑賞。ラブ・アクチャリー。先日胸が苦しくなって、中断したもの。2時間半、船の揺れも忘れて楽しむことができた。
2004.08.28 (sat) 第46日
6時22分起床。日の出直後、虹が、水平線から上に立っているのをみる。また、企画に参加してみるか。
今日の予定:
10:00~11:00 健康ヨガ(スポーツバー)
11:00~11:30 手話教室(アゴラ)
14:00~15:15 おとこ平山珍生劇場(あん)
16:00~17:30 テロリストは誰?(ウィンジャマール)
21:00~22:20 多文化国家ニッポン(ウィンジャマール)
あすは、北極圏突入。夕方7時30分の散髪を予約する。日が差して来たら、船内温度も上昇。昨夜の揺れも嘘のよう。まるで地中海にいるような感じ。本当に北極圏に向かっているのだろうか。右舷遠くに陸地がみえた。北上していることは間違いない。
「おとこ平山珍生劇場」
PBスタッフの人気者。平山君が、自分の育った4半世紀、PBとの出会いなどを解説。船でみる彼は、高田馬場で見かけたときの印象とは全く違っていたが、話をきいてますます好きになった。日本の若者、捨てたものではない。
「テロリストは誰?」これは見そびれてしまった。つぎの機会をまつ。
「多文化国家ニッポン」
同性愛者、部落出身者、在日韓国人、難聴者、在日外国人、帰国子女、など船にのっているマイノリティな立場の人がそれぞれの体験、気持ちをはなし、それをもとにグループごとに話し合う。ピースボートならではの企画。とても日記としては語れない重い内容だった。タイトルは日本人の意識を逆説的に表しているが、multi culture と minority この2つは、キーワードとして私のなかに植えつけられた。
2004.08.29 (sun) 第47日 北極圏
カメラ、ビデオ撮影に夢中。記録なし。
2004.08.30 (mon) 第48日
起床 6時 太極拳、ラジオ体操。朝食は、トパーズで。納豆。
本日の予定
10:00~11:00 健康ヨガ
11:00~11:30 手話教室
15:15~ ベルファスト上陸説明会
16:30~17:50 9/11以降のNY市民
21:00~22:30 シンポジウム9/11以降の世界(米国・日本・EU・国連)
午後は企画の合間に、自分のために竹トンボ作成。こんどは、削り込み式で。竹が生なので、けずりやすいが逆に割れやすい。厚さが不足しているため、削りだけでは仰角がとれず、浮力がつかない。熱によるねじりも追加。中心の穴が、斜めになっていた。軸部の厚さを薄くし、ある程度調整できるようにして、接着剤で固定。一応飛べるが、性能的にはいまいち。戻ったら、本格的にやろう。
ドーバーから乗船したという外人の若者が2人。立ち止まって見物。完成品を渡し、飛ばさせる。つくってみるかと聞くと、「時間はあるからやってみる」という。一人には、ナイフ作業が終わっているものを渡し、ペーパーをかけ、バランスをとる作業から。もう一人は、ナイフで削るところから。ナイフの使い方を見ていて、こちらが怖くなる。japanese方式だといってジグの使い方、ナイフの使い方を教えるが、やはり自己流。教えるのはあきらめて、勝手にさせる。彼らに比べれば、やはり日本の若者のほうが器用。
1時間ぐらいで完成。熱でねじり、心棒をつけて飛ばす。ねじりが逆になっていたので、左利きで飛ばしてみる。彼らは満足して、持ち帰った。あとで、スタッフがいうには、竹トンボのはなしを聞いて、ぜひ自分も作りたいといっていたとのこと。これも国際交流?
「9/11以降のNY市民」
話のまえに、一枚の紙が渡された。眼をつぶって、これからいう言葉を自分なりに解釈して、行動してほしいという。まず、二つに折れ。まんなかに穴をあけよ。左端を切れ。右側を切れ。出来上がったものを、眼をあけて、まわりのひとと比較する。おおよそは似ているが、微妙に異なっている。個人個人の認識・解釈の違いに気づかせるパフォーマンス。このときの中年日本人の行動も興味深かった。「指示が不明確」といって質問する。「正しい」行動をとろうとするからか。当然、講師はノーコメント。
9/11以降、アラブ系、南アジア系市民が、迫害をうけている事実を知った。
関東大震災のときの自警団。北朝鮮拉致事件での一部右翼の行動、を思うと、いま、日本にも多くの東南アジア系のひとが働いているが、もし東京直下型地震など、おおきな人心を不安定にさせる事件が起きたとき、我々は冷静に行動できるだろうか。根拠なきデマに踊らされないだろうか。
2004.08.31 (tue) 第49日
6時5分起床(同室者に起こされて) 太極拳、ラジオ体操。朝食は、ヨットクラブ。
9/11の企画が発表される。9/11ピースボートとして各種企画あり。ワシントンDCへの観光を予定しているが、選択になやむ。結論として、アムトラック・スミソニアン博物館はあきらめ、ワシントンDC行きはキャンセルすることにした。
時代の証人、comtemporaryに生きる人間として、このチャンスを外すわけにはいかないと考えたから。キャンセルによる5万円のキャッシュバックも魅力。
今日の予定
12:00~ ツアーデスクで、企画の変更。シャトルバス、イベント参加の申し込み。
10:30~11:30 わくわく寄港地シリーズ(北アイルランド編)
10:30~11:10 北アイルランドで手話歌を歌おう(こちらは、参加できない?)
13:00~14:00 PBがNYにいく理由
10:30 わくわく寄港地を聞いて、ジャイアンツコーズウェイにいきたくなった。一度キャンセルしたものだが、空きがあったので、再申し込み。
11:00 手話歌のほうにいってみる。くみさんはまだいた。9/2のイベントのことを確認。黒か青の上着をきる。下は、何色でもよい。イベントチケットを忘れないようにとのこと。
PBがNYにいく理由:
9・11のイベントにおけるPBの関わり方、イベントの性質などの説明があった。
ストーンウォークほか全プログラムに参加をきめる。
9・11犠牲者の家族(のごく一部だが)が、「テロの被害を口実にあらたな殺害をおこなうのは許せない」と立ち上がった。広島・長崎の被害者が、米国に対する憎しみを抑えて、核廃絶にとりくむ運動と重ね合わせて考えた。ストーンウォークの最後を、日本に託した背景はなにか。9・11を真珠湾奇襲攻撃と重ね合わせて考える一般的米国人の心情を知れば、理解できる。ごくわずかではあるが、原爆投下を謝罪したい米国人が存在することがわかる気がする。いずれの理由にしろ、民衆に被害をあたえたことを素直に謝罪する気持ち。そしてそのことを繰り返さないよう努力すること、国際的な市民運動の存在理由はそこにあるのではないか。
2004.09.01 (wed) 第50日
6時56分起床 今日は、寄港日なので、体操などはない。ゆっくりできた。デッキにいくと右舷側には島影。どこあたりだろう。ヨットクラブで、トーストを食す。仙台の「たまちゃん」から、昨夜見せていただいた、トランプマジックの仕掛けセットをいただく。レセプション脇に行き、現在位置を確認。そろそろ湾内にはいってもよさそう。
8時すぎ、行き先旗、ユニオンジャックがあがる。
今日の行動予定
10:30 ベルファスト入港
交流プログラム参加 peacewallなどを見学。
19:00~21:45 イベント参加 (手話歌「上をむいて歩こう」)
北アイルランドは、イギリス派(プロテスタント)とアイルランド派(カトリック)に別れて紛争をつづけていると聞いた。しかし、市街地(繁華街)ではそのような印象はもたなかった。紛争が激しい地域は、みるからに貧しい感じ。結局は、社会経済問題ではないのか、そんな気がしたが、初等教育では両派が、別々に学校をもっている。高等教育で初めて両派の分け隔てがなくなるという。イベントが行なわれたのは、その名もクイーンズ大学。紛争のことは忘れて、アイルランドの民族舞踊、ダンス、バグパイプの演奏を楽しむ。日本側からは、阿波踊り、和太鼓、手話歌、南中ソーラン節。私は、手話歌に参加。
「上をむいて歩こう」にわかつくりのメンバーだったが、それなりに、心をこめて。
実は、この日、イベント会場にむかう途中で、パブとフードショップに立ち寄った。
パブでは、ギネスは 2ポンド。わたしにはちょうどよい味だったが、相棒は、アルコールが低いとか。2杯飲んでも物足りない様子。軽食はないかと聞いたが、ビールだけ。別の店をさがす。アメリカンテイストのフードショップを見つける。ホットドックは、終わってしまった。結局、フィッシュ&ポテト。味はよかったが、食べている途中で、左上顎が、カリッという音をたてた。相棒も、いま音がしたという。左上第2犬歯?が、割れてしまった。これからのことが、頭の中をかけめぐる。航海を途中離脱しなければいけないだろうか。保険の対象にしていない。寄港日は、船内の診療室は、やっていないし、歯科は保険がきかないとか。そっと舌でさわってみる。外側は、なんともない。内側にふれるとビリッとくる。右側だけで、食事を終える。とくに出血はなさそう。しばらく様子をみることにする。とくに予定は変更しない。
2004.09.02 (thu) 第51日
7時起床 小雨
記録なし。(歯のことが心配で、パソコンにむかう気がしなかった?)
2004.09.03 (fri) 第52日
5時50分起床 太極拳、ラジオ体操(小雨&強風のため、ブロードウェイで)
揺れがひどいので、トパーズで朝食後、酔いどめ薬をのむ。
デジカメから、データの吸い上げ。不良データの削除を、スターボードサイドソファでおこなう。Kさんと雑談。午後、データのCD焼き込みを約束。
寒くなったので、部屋にもどり、仮眠。とおもったが、そのまま熟睡。
12時30分。ベッドメイキングの音で、気づく。昼食は、放送での案内がなかったのだ、トパーズでの食事には間に合ったが、食事が終わったのは、1時30分。
手話教室(13:00~13:30)には間に合わなかった。昨日の反省をしたかたったのだが
歯の痛みはすでに無くなっている。たぶん自然と抜けるのだろう。一時は、細菌感染を恐れたが、一安心。
2004.09.04 (sat) 第53日
6時起床(とおもったら、前夜時差修正を忘れ、実は5時起床だった。)まだ外は暗いのにすでに、リーディングデスクでは、初老・中年男性が、それぞれ学習中。PB前には、若い男女が数人、ごろ寝。(昨夜遅くまで活動していたのかな。)6時まで、右舷ソファで、休んでいようとおもったが、30分ほどで、寒くなり、部屋にもどる。そのまま、寝込んでしまい、太極拳・ラジオ体操は、やすみ。
10:00~11:00 健康ヨガ 久しぶりに参加。足のマッサージが心地よい。昼食時に、ベルファストで割れた歯の片方が抜けた。
2004.09.05 (sun) 第54日
5時55分起床 太極拳・ラジオ体操(風が強いので、ブロードウェイにて)
今日の予定:
10:00~12:00 絵手紙
13:00~13:30 手話教室
14:15~15:30 NY風 草の根ワークショップ(ジル・シュトラウス)
16:00~17:20 アメリカと中東(高橋和夫)
21:00~22:30 市民がしてきたこと、できること。(河辺一郎)
寄港地絵はがきの作成(ベルファスト)
日記の整理。
洗濯(久しぶり)
絵手紙にちょっと顔をだし、出発前に購入した小型顔彩をつかってみる。
竹トンボで知り合った女性(Tさん)に簡単な手ほどきをしてもらう。テーマは、航海の安全。
2004.09.06 (mon) 第55日
5時55分起床 太極拳・ラジオ体操(ブロードウェイにて)曇り、風つよし。
昨夜来、揺れがものすごかった。同室のSさんは、明け方から、離室。ゆれに耐えられなかったようす。私は、音楽祭の反省会(飲み会)で、酔っていたので、船酔いのほうはかろうじて耐えられた。とおもったが、ラジオ体操のあとは、気分がすぐれない。トラベルミンをのむ。トパーズダイニングにむかうが、食欲がなく、ひさしぶりに、おかゆ、塩昆布、うめぼし、ベーコン。味噌汁がうまかった。果物は、プリンスメロン。
今日の予定
13:00~14:00 NY Eコース説明会(途中まで)
13:30~14:00 運動会応援(冬組は、冬将軍チーム)
14:15~15:35 NY風草の根 平和ワークショップ
16:00~17:20 イラク戦争を考える(高橋和夫)
19:00~19:30 NY Dコース説明会
19:45~ クラシカルコンサート(step by step)
午前中は、企画がないので、日記作成、PC整理など
さきほど、波間に、鳥がみえた。海鷲だとか。水鳥ではないので、近くに島があるはずという。大西洋のちょうど中間地点。まわりをみまわしても、船影ひとつ見えない。
同室のSさんから頼まれた、企画もの講演3回目のプレゼン作りをする。スライド画像、デジカメ画像をPDF形式でとりこむだけ。ACROBATを実装しておいたのが役立つ。
この作業のため、クラシカルコンサートにはいけなかった。
NY風草の根ワークショップ
先日作成した、暴力(violence) 非暴力(Non-violence) という言葉から、浮かび上がってくる言葉を look like sound like に分類した表をもう一度ながめる。
新しいメンバーもはいって、追加することがあれば書き上げる。
書かれた言葉だけみると、とくに新しいメンバーには別の意見がでてくる。たとえば、抵抗(Resistance)とnon-viorence に分類されていたが、resistanceには、violenceもあるなど。
このテーマだけでも興味はつきないが、時間も限られているので、みんなに意見を聞いて、次のゲームに移る。
床の上に1本のテープがはられ、violence non-violence に分けられる。講師が、ある話をする。それを聞いて、violence か non-violence かその程度に応じた場所に立つ。というもの。わからないときには、真ん中。
最初の話: ある人と喧嘩をした。その人の行動がゆるせなく、無視をした。そして最後は、その人の存在そのものも否定した。
ほとんどの人が、中間あるいは、non-violence,私だけが、明確に violence.
理由を聞かれた。「気に入らない人を無視することまでは許される。しかし、存在を否定するとなるとこれは暴力的といってよい。そうなってしまっては、相手側に弁明や和解をするチャンスがないではないか。」というのが私の見解。それを聞いて、一人、同調者があらわれた。
次の話: 2つのグループが、対立し、喧嘩を始めた。対立を避けるために、壁を作った。このととは、暴力的か、非暴力的か。
ほとんどの人が、暴力的と判断した。壁を作ったのが誰かによるといった人のいた。わたしは、やはりあまのじゃくなのか、非暴力的と判断した。たった一人だった。
暴力的と判断した理由をきかれてある人がいうには、壁ができてしまうと話し合いができなくなるから。
私が、非暴力的と考えた理由は、実際に対立がおきて流血騒ぎを防ぐために作ったのだから、暴力を防止するという意味で、非暴力。そもそも壁自体は、静的なもので、無害である。壁にぶつかるから暴力的と感じる。しかも、人がつくった壁は、いつでも壊すことができる。壁をこえて声で交流もできる。問題は壁ではなく、それを必要だと感じる人である。
この意見をのべる機会は、時間がきれてしまってなかった。
このワークショップをつうじて感じたこと。
わたしはやはり、へそ曲がり。大多数がどう行動するかを予想できるので、その逆のロジックが成り立たないかを考えるというパターン。(でもこれが心地よい)
多くの人は(特に日本人)、ワークショップがもつ雰囲気を感じ取り、それなりの答えが自然にでてくる。
また、議論が、日本語と英語でおこなわれ、お互いに通訳を通じて理解したのだが、言葉のもつニュアンスが、日英で若干異なることがあるのではないか。しかし、なかなか面白い体験だった。
イラク戦争を考える(高橋和夫)
冗談をまじえた、巧みな話術で、特に中高年に大人気。揺れがひどいブロードウェイに大勢の人があつまった。比較的中立的な立場で、独裁者の国とは、近隣のおもわく、米国の動きなどを紹介。
ニューヨーク・ストーンウォーク説明会
参加者の顔ぶれをみると、高齢者ばかり。自分もその一人だが、本当に運べるだろうか。2m×4m 厚さは不明。400KMの石を10KM運ぶ。そのときのために体調を整えておかなければ。
2004.09.07 (tue) 第56日
6時5分起床 太極拳、ラジオ体操 今日は、時差修正あり。24時に1時間もどす。 天候、くもり。波しずか。うねりはわずかにある。朝食は、ひさしぶりにヨットクラブのデッキで。いつものトーストと、りんご、トッフィー味のヨーグルト。
朝日が美しい。雲間もみえ、今日は、運動会日和。新聞をみながら、予定を考える。
運動会には、開会式、応援合戦のときだけ参加しよう。先日の大西洋横断ウルトラクイズの一次予選結果が発表される。7時の締め切りに駆け込み提出したのだが、無事通過。23組として2次予選にいどむことになる。しかし、今回のクルーズ責任者 日高慎介さんが、24才とは。
運動会開会式には、冬(白)組として参加。参加人数順位は、残念ながら3位。夏組の勢いに圧倒された。
部屋にもどり、このメール作成のつづきをする。昼食の弁当をトパーズで食べる。中間結果を見にデッキにいく。相変わらず3位のまま。トップとの差は70点。逆転はむずかしい?。
午後になると、更に差はひらき、ついに最下位。頼みの綱引きも、地の利を得られず、4位。そして結果の発表。応援合戦の成績で、なんと1位100点が加算された。寸劇を主にし意表をついたのが、審査員の同情をひいたのか。総合成績は、3位。優勝は、夏組。賞品は、「波へい」で、1H飲み放題。
綱引きが始まる直前、イルカの群れが現れる。こんどはじっくり眺められた。雲もほとんどなくなり、本当によい運動会となった。
2004.09.08 (wed) 第57日
6時起床 太極拳。ラジオ体操 久しぶりに屋上デッキで。朝食は、ヨットクラブ。トースト、ゆで卵、ナッツ風味のヨーグルト。
イルカをみる。船尾なので、すぐ離れてしまった。今日も時差修正あり。そうすると、日本との時差はマイナス13時間。
本日の予定:
10:30~12:00 眼の健康(同室者の企画アシスタント)
11:30~12:30 ボラスタ割引船内返金
14:45~ ニューヨーク上陸説明会(参加コースは、A,D,E,F)
16:45~16:00 大西洋ウルトラクイズ2次予選
17:15~ ブリッジツアー
18:50~19:40 NY D,Eコース分科会
今日はいそがしい。ボラスタの返金も重要。ブリッジツアーは逃せない。
ウルトラクイズのほうは、途中離脱しかない。
16:30~17:45 いそべやいちろう大解剖 は参加できそうにない。
ボラスタ返金というのは、ポスター貼りやデータ入力など、ピースボートの企画支援作業に対して割引があるのだが、出発直前におこなったものの精算が船内で返金されるもの。額は1万4千円だった。ちょっと嬉しい気分。ウルトラクイズは、チーム中1名が欠席のまま、4名で始める。第一問題は常識。第2問題は、漢字。第1問題が終わったところで、17:10ブリッジツアーのほうに駆け込むが、船長さんは在席していたが、先日交代で着任したばかり。説明はJGの本田さんが代行。業務に邪魔にならないように、各種機器の説明を聞く。コンパス(羅針盤)には、ジャイロ式とマグネット式があり、マグネットは、場所により、また時間経過で変動しているため、ジャイロとは20度近く異なることもある。操縦者の好みで、ジャイロかマグネットを選ぶので両方を設置している。また、GPS(global positioning system)もつかっている。大海にでれば、ほとんど自動操縦。そういえば、これまでみた世界中のほとんどの船についていたFURUNOのマークのGPS機器。日本の古野電気製だ。
船にもブラックボックスがある。寄港ごとにリセット。ある人によると、この船はグラスゴーで建造されたとのこと。そのときの船名、カーニバル号の名が、ブリッジ横にデッキにある点鐘にきざまれていた。
NYのDコース。ストーンウォークの説明をきく。現地の情報が少なく、高齢の参加者からの不信質問が続出。スタッフが忙しいことはわかるが、もうすこし対応をきちんとやる必要がある。私も過激な発言をしてしまった。反省しなければ。11日天候がよいことを祈る。
Eコース。ワークショップの選択にはいる。どこにするか全く白紙。スタッフ担当がだれかで決めることにする。平和教育と、もうひとつが人気が高そう。野平さんが寂しそう。テーマは、「若者と核廃絶」。若者ではないのですが聞くと、全く問題ないという。野平さんがいうには、主催者は、本当にいいひと。このコースは、めっけものだとか。結局、2名が参加。あとは地球大学から。ワークショップが構成できるかどうか不安だが、「若者に核問題を考えさせる導入」といった内容のよう。中学1年のとき、出身の小学校で行なわれた、原水協世界大会報告会に参加。ポケットにあったナケナシのこづかい、10円をカンパし、パンフレットをもらい、「原爆ゆるすまじ」の歌を覚えた。自発的に、社会的活動に参加した初めての体験を思い出した。考えてみれば私の原点が、核問題。もういちど、立ち返って考えるのも悪くない。
WSに一緒に参加する女性から、ピースセレモニーで上映するビデオをつくっているのでインタビューに協力してほしいといわれた。快諾したが、第一問が、2001年9月11日、あなたは何をしていましたか? そう聞かれて、すぐに応えられなかった。確かテレビをみていたが、あの映像は、オンタイムだったか、ニュース報道だったか。2001年は、すでに退職していたか、在職中だったか。そうこうしているうちに、別件がはいって、中座。インタビューは無しとなった。部屋にもどり、シャワーをあびようとしたが、石鹸がないことに気づく。8時45分から開くのを待って売店にいく、。石鹸を買って、もどろうとすると、ブロードウェイの前は大勢が行列。ライブショウがあるという。そのまま列に加わり、9時より、annie with PB choir acompanied by hiroko を聞く。アニーは黒人女性。その迫力・熱気にこちらも知らず知らずリズムをとり体を揺さぶっていた。
2004.09.09 (thu) 第58日
5時55分起床 太極拳。ラジオ体操 天候:快晴 波しずか。
ラジオ体操のあと、ウルトラクイズ共同参加者にあう。2次予選をトップ通過とのこと。私も加わった第1問題では、なんと最高得点。残念ながら途中離脱したため、私は準決勝参加資格はない。同志の健闘を祈る。
本日の予定:
(昼食) 11:20~
11:30~12:30 手話歌(スペース)
14:00~15:45 「エイブル」上映会
16:00~17:00 エイブルをみて
(16:00~17:00 健康ヨガ)
17:30~18:00 ストーンウォークについて(ジル・シュトラウス)
(夕食)
18:30~ NY Dコース集まれ
19:30~ ピースイベントリハーサル(手話歌)
今日もスケジュールが、重複。「エイブル」を優先させる。テーマが知的障害者。下船後のためにも聞いておきたい。河辺一郎さんの話は、断念。手話歌、新しい手話ソングのようでぜひ覚えたいが、食事とぶつかってしまう。ヨットクラブがないので、カップラーメンで我慢する?
ウルトラクイズのリベンジもあるが、「エイブル」には負ける。
結局、午前中は、竹トンボをつくることになり、手話歌も断念。
「エイブル」
スペシャルオリンピックすにも参加する2人の青年が、米国でホームステイを体験。米国の障害者受け入れの様子も伺え、見てよかった。16:00から感想などを話し合う場にも参加した。すでにこの映画を見た人も大勢いた。多摩市でも上映したことがある?
11:30からの「Dコースあつまれ」は、11日の石運びに備えて足を慣らそうというもの。数人で、トトロの冒頭歌「さんぽ?」を歌いながら船内デッキを5周ほど。途中で、くみさんに出会う。ピースイベントで、spaceのグループとは別に、手話教室メンバーで手話歌「上をむいて歩こう」をやるという。メンバーにあったら、リハーサルに出るようにいってくれと頼まれる。
「ピースイベント」
9時からはじまった。9・11に対する各人の想いをビデオで紹介。歌、ダンスなども。我々の「上を・・・」は、9:45ごろ。久美さんがしっかり振り付けをしてくれたので、なんとか「様」になったかな。
2004.09.10 (fri) 第59日 アメリカ・ニューヨーク入港
オプションコースは、国連本部とグランドゼロ
国連本部で、まずvisitorパスで、総会会場や展示を見学し、ショップでみやげ物を購入。ひきつづきメンバーパスを受け取り、経済社会理事会会場でひらかれた、セッションに参加。
「北東アジアの若者の声を」というタイトルで、多少出来レースの感はあったが、交渉権をもつNGOとして、ピースボート船内で、「地球大学」学生が検討した内容を発表し、あわせて提言書を国連事務総長補佐に提出。その間、イヤホンを耳につけ、同時通訳を聞くなど、単なるツアーでは経験できない体験をした。
そのあと、グランドゼロに。周辺ビルは、相当再建されているが、中心部はまだまだ。フェンスには、花束も飾られていた。向かいのビルの巨大バナーにかかれていた言葉、WE WILL NEVER FORGET IT。シンガポールで、同じ言葉に出会っている。
帰路の途中、プリンターインクの購入を頼まれていたので、街の見物を兼ねて、ユニオンスクウェアで、離脱。
あらかじめ調べておいた、パソコン関係のショップを5番街付近でさがすが、見つからない。7時近くになっており、すでに閉店したのかもしれない。ラジオシャックがあったが、インクはない。次にみつけた店では、canonインクはあったが、指定のインクはない。lexmark,HP,Epsonのほうが品揃えがいい。店員に聞くと、この先のstapleという店にあると教えてくれる。STAPLE、あとでわかったが、あちこちにある。ヨドバシほどではないが、用品が一通りそろっている。インクの陳列には希望のものが見当たらなかったが、店員に型番をいうと、奥からだしてくれた。これで一安心。ただ、写真用紙は、どこにもなかった。ラベル用紙はあるのだが。
2004.09.11 (sat) 第60日 ストーン・ウォーク
午前6時40分 Dコース(ストーンウォーク)集合
バスで、出発場所にむかう。7時過ぎに、ユニオンスクウェア近くの、アメリカンファミリーカルチャーセンターに到着。すでに、現地主催団体のピースフルトモローの人達はいる。ゴム車輪がつき、運転席には、ハンドル、ブレーキがついている。これなら運べると一同安心。行進中の事故があっても自己責任だという誓約書にサイン。直接集合場所にきた人もふくめて50名弱。7時45分ごろ出発。先導は、婦人警官が運転する三輪車のパトカー。西にいき、9番街の車道を、まっすぐ、北に進む。行列の前後には、横断幕をもち、現地のひとは、道ゆく人に声をかけていく。
こちらは、黙々と。ニューヨークは、道の上り下りが案外おおい。岩盤がでこぼこしているからだろうか。8時40分、最初のアタックがあった時間。行進を止め、黙祷。第2アタックのあった9時5分が過ぎ、再び行進開始。罵倒のような声をあげて通りすぎる車もあったが、クラクションをならし激励してくれる車も。終点近くの日本山妙法寺(浄土真宗本願寺派)で、慰霊の式。ここには、被爆した親鸞の銅像が移転設置されている。すべての「戦争で命を失った名もなき市民」に対し黙祷。9/11で肉親をなくした方が、原爆を投下した過ちをわびた。イラクで多くの市民が亡くなっている報復攻撃を止めてほしいと訴えた。ふたたび、ピースストーンを牽きはじまる。12時すぎ、リバーサイド教会に到着。ストーンウォークは終わる。教会のとなりは、コロンビア大学。学生相手のデリカがあるので、サンドウィッチとジュースで昼食をすます。1時からは、ワークショップが始まる。(以下未完)
2004.09.12 (sun) 第61日 ニューヨーク出港
5時50分起床 寄港中なので、体操などはない。カメラをもって、デッキにいき、朝のNYをながめる。朝から自由行動なのだが、11時が帰船リミットなので、遠出は無理。
ガラパゴスツアーにいく人びとが集まり始めている。6時半。トパーズで朝食。トマト味だったが、なんとか食べられた。昼のヨットクラブのメニューは、クリームシチュー。久しぶりにライスが食べられるぞ。ニューヨーク寄港中は、当局の指示で、米飯がたべられなかった。(米国から購入した材料しか使えないのだという噂も)。
昨夜中に、印刷しておいた絵はがきの宛て先、文面を考え、8時15分ごろ?中央郵便局にむけ出発。10時に戻れば、隣にある軍事博物館「イントレピッド」を40分ぐらい見学できるはず。とおもったが、郵便局では、10名ほどの行列。すでに30分も待っているらしい。仕方がない。そのまま待って、投函はできたのだが、9時30分になった。すぐイントレピッド博物館に戻ったが、ここも20名以上の行列。時刻は10時を過ぎている。とても帰船リミットには間に合わない。あきらめて船に戻り休んでいると、12時頃「当局の指示により、すべての船のハドソン川の航行は午後5時まで禁止されました。従って帰船リミットを2時までに変更します」と船内放送。すぐさま、飛び出し、桟橋のとなりのイントレピッド軍事博物館へ。シニア(62歳以上)は、9ドル50セント。航空母艦を改装したもの。甲板上には、各国の戦闘機など。9・11の展示もある。
2004.09.13 (mon) 第62日
6時起床 太極拳、ラジオ体操。ひさしぶりの太極拳、東の空が薄明るい。水平線にひろがる雲から、すこしずつ太陽が昇ってくる。食事は、ヨットクラブで、トースト。果物はバナナ。
今日の予定:
13:00~13:30 手話教室
14:15~15:35 来ればわかるスペシャルオリンピックス
16:00~17:20 ホセ・マルティーとアメリカ
(16:00~17:00) 健康ヨガ
21:00~22:30 手塚真 映画メイキング
23:00~ 0:15 Bamboo Cedar Oak
午前中が空いているので、写真の整理。9/10,9/12の絵はがきも作成。
ひさしぶりの手話教室。くじ引きで、NYの3日間の話をする。残念ながら、順番はまわってこなかった。ニューヨークの手話表現。右手で、Yの字をつくり、上に向けた左手のひらの上で、数回往復。飛行機がたくさん飛んでいる様だとか。韓国、中国、沖縄の手話表現も再確認。
「スペシャルオリンピックス」
障がい者を子どもにもつ盛田さんならではの、気迫のこもった話。2005年SO長野大会の成功を祈りたい。
「ホセ・マルティ」
そういう人物がいたことも知らなかった。日本では明治初期。中国における孫文のことを思い出した。ソ連崩壊後、キューバがどうなるか。カストロ独裁がいつまでつづくか。
「手塚真」
映画「白痴」作成の裏話を軽快な話術で、話してくれた。よい意味でのエリートだなと感じた。
「バンブーシダーオーク」
日本の竹、アメリカの杉、イングランドの樫。それぞれ聖なる木をつかった笛の音。打楽器。すこし寒くなってきたが、眠りの境地になる。
ギエモさんは、昼間、竹トンボを一緒に削った。ナイフをいれた、メイプルツリーの流木を削ってつくったケースがすばらしい。わたしも戻ったら、竹で、竹トンボ用工具入れをつくろう。
2004.09.14 (tue) 第63日
5時45分起床 太極拳(とおもったが、先生があらわれないので、日の出観察)。ラジオ体操。オリオン座が上空にみえる。シリウスも。北極星は、みつからない。
朝食は、ヨットクラブ。バナナ。プレーンヨーグルトに砂糖をまぜて。
今日の予定
10:30~11:30 健康ヨガ
14:15~15:35 3つのオリンピック(池田和子)
16:00~17:20 講座・ヴィジュアリストの発想法(手塚真)
20:15~20:45 ギエモのドラマ作り説明会
21:00~22:20 直撃・障がい者って誰のこと(盛田英夫)
オリンピアン池田和子が語る3つのオリンピック
競技者でわけると、
オリンピック :健常者
パラオリンピック :肢体不自由、視覚障害
スペシャルオリンピックス:知的発達障害
ということになる。
その目的とするものは?と聴衆からの回答をあつめると
オリンピック:金メダル
パラオリンピック:参加することの意義
スペシャルオリンピックス:友情、仲間作り、能力、パフォーマンス、競技を楽しむ
池田さんがいうには、じつは、本家のオリンピックもスペシャルオリンピックスの目的ととしてあげられている、これらすべてを目的としている。(報道はされないが)
真のオリンピアンは、ほんとうに競技を楽しんでいる。自分自身が楽しまなければ、いい結果は絶対うまれない。アテネでも、水泳チームは、グループに分かれ、お互い応援合戦のコンテストをし、優勝した応援方式で、本番の応援を行なった。まず競技をたのしむ。その結果、各人の能力を最大限引き出すことができる。
米国で、トレーニングしていたころ、コーチにいつもいわれたことば。
you can do it more than you think.
「手塚真の発想法」
キーワードは、RRPC
Recycle(再利用)
Replace(置き換え)
Paste(接合)
Chance(偶然)
どれも、私が常にやっていることだが、天才の息子も同じことをしていると知ってうれしくなった。再利用は、私が「使い回し」と呼んでいるもの。置き換えは、アナロジー(類似)とおなじ。接合は、組み合わせ。
しかし、「偶然」とは、単なる「思いつき」とはちがう。外部からの微妙な変化を敏感に受け止める感性。やはり天才の息子ならではか。
ジャングル大帝: 暗い部屋で、ライオンを描いた。朝になって明るいところでみたら、色が白かった。いわば、失敗だったのだが、そこから「白いライオン」という発想がうまれた。
アトムの誕生秘話
最初は「アトム大陸」というマンガ。原子力を平和利用するはなし。これは人気がでなかったが、ここに、宇宙人と地球人との調停役のロボットとしてアトム大使をつくった。評判がよかったので、アトム大使を主人公にした漫画を書く。名前を鉄人アトムとつけたが、雑誌社から注文がついて、鉄腕アトムにかわった。
ブラックジャック:
これも主人公の顔がまずあった。そこに、あとからいろいろ理由付けして物語ができていった。
手塚真は、いろいろ著書があるが、1Wで1冊書き上げるという原則を守っているという。
盛田さんといっしょに考える「直撃・障害者ってだれのこと。」
盛田さんの家族(9歳の三つ子がいるが、うち2人が障害児)、スペシャルオリンピックスの紹介。強調されたのは、障害をもつ子の親は、子どもを守るために、どうしても区別をする。しかし、それが社会における差別になる因(もと)。しかし、区別をしようとする親のことも理解してほしい。いまの社会ではそうしなければ生きていけないのだから。障害者と呼ばれる人の犯罪発生率は、健常者とよばれる人と比べてはるかに低い。
障がい者(この言葉は好きではないが)が、社会の一員として生活できるように。スペシャルオリンピックスもそのための活動である。
参加者からの意見・質問。
・「障がい者ってだれのこと」という問題提起に引っかかる。みんな同じなんだという情緒的理解だけでは問題は解決しないのでは。その先にあるもの、施設、制度などに踏み込んだ行動が必要とおもう。かつて、学校の教員をしていた。障害児を預かった。受け入れるかどうか教育委員会は迷ったが、父兄の一部の「私たちが守ります」と強い意志で、就学が始まった。しかし、父兄は、だれもサポートしなかった。担任の教師はそれは熱心に障害児対応をしたが、親は満足せず、罵倒のような非難をうけたこともある。結局、担任の女教師は、学校を止めてしまった。
(盛田さんは、この発言にこたえてもよいかと参加者に問うたが、別の質問もあり、盛田さんの答えは聞けなかった)
・盛田さんが、障害者の問題に取り組むようになったのは、子どもが障害だとわかってからか。
(少年のころからボーイスカウトなどで障害者ボランティアはしてきた。ホテル建設のとき、すべてのお客様のためにと、バリアフリーを検討し実施してきた。その後、父が倒れ、障害の子どもをもった。)
・あとは、障害児施設に勤務していた人の、現状紹介。統合化という養護学校削減への動きの危惧など。わたしも、初めて障害児ボランティアをしたときの印象をはなす。
2004.09.15 (wed) 第64日
5時30分起床 じつは、前夜、時差修正を忘れていたため、6時30分に起きたつもりだった。太極拳、ラジオ体操。朝食は、ひさしぶりトパーズダイニング。納豆、生卵、魚干物。果物は、洋梨、プリンスメロン。
食事からもどるとドアの下に、連絡用紙が2枚。ジャマイカOPでイカダの川下りを申し込んでいたが、ハリケーンの影響で、川の流木がおおい。中止になるかもしれないとのこと。代替として、「スポーツで若者交流」を選ぶ。費用が安いこと。竹トンボでの交流ができることが理由。ギエモさんのドラム作りは、費用16000円。ちょっと高価だが、めずらしい経験なので応募していたのが、20日午後組に決まったという連絡だった。
46クルーズ卒業アルバムつくり。CDの焼き込みボランティアに応募。「あそひろ」さんが世話役だ。(がっちャンといっしょにラジオ体操の面倒もみている青年)。
今日の予定
10:00~11:00 健康ヨガ
11:30~ 昼食(トパーズ)ハンバーグステーキ
14:45~ 上陸説明会(LコースからBコースに変更)
16:15~17:35 PBのそこが知りたいpart2(吉岡達也)
(16:15~17:35 隠されたアメリカ史~中南米への介入~)
17:45~ 夕食(ジャマイカ料理)
19:00~ 映画:戦場のピアニスト(シアター)
21:00~ ドリーマーとヴィジュアリスト(盛田英夫・手塚真)
今日は、午前中 日記&internet
午後上陸説明会のあと、竹トンボつくり開始。結局映画はみれなかったが、10本作成完了(23:30)
やはりイカダ下りは中止。若者とスポーツ交流、中年以上は男性3名のみ。会場は、プライベートビーチ。水着を用意したほうがよさそう。スポーツの中身は、現地の青年たちと相談して決定。18才~30才程度とのこと。竹トンボは、マッチするかどうかわからないが、用意してみる。
PBのそこが知りたいpart2
1時間ではとても話しきれない。第2回クルーズで、手塚治虫さんに乗ってもらい、中国にいった話。最初の世界一周で、湾岸戦争に遭遇したはなし。北朝鮮にスタッフがビザなしで入国しようとした話など。
夕食は、ポークを選択。赤ワインも注文したが、予想外においしかった。一見赤飯風のご飯もなかなか。あすのジャマイカ料理に大いに期待がかかる。
盛田・手塚さんは、吉岡さんの司会がはいって放談会のよう。
副題が、人生のトライアンドエラー。手塚さんいわく、自分の作品は、完成したときいつも失敗とおもっている。しかし、他人は成功といってくれる。また時間が経って成功にかわることもある。
盛田さんいわく、手塚さんがうらやましい。自分は、成功とおもったのに世間の評価がえられず失敗の連続。失敗のほうが桁違いにおおい。クリエイターと商売人のちがいか。盛田家は代々酒屋。父親のとき、ちょっと別のことをやったが、自分は、酒屋をつがなければならないとおもっていた。
2004.09.16 (thu) 第65日 ジャマイカ・モンテゴベイ入港
午前7時4分 起床(船内放送で)
朝食は、ヨットクラブ。左舷側には、ジャマイカの島がみえる。9時まで、絵はがきの文面作成。切手チケットがない。1枚Sさんに借りる。船首デッキにでてみる。すでに、モンテゴベイ湾内にはいっている。10時入港予定なので、出発の準備。昨夜購入したはずのビーチサンダルがない。部屋に持ち帰った記憶もない。レセプションにいってみるが、届け出はないとのこと。船内を探すうち、ブロードウェイに昨夜は立ち寄ったことを思い出す。行ってみると、袋ごとテーブルのうえに置いてあった。やれやれ安心。それにしても自分がふがいないとおもう。10時になったので、舷門の近くにいく。まだ、出てはだめだという。PBスタッフが、出ていったので、自分もでてみる。ターミナルにはショッピングセンターが。インフォメーションでポストカードをみせ、切手がほしいというと、あちらの店にいけという。いってみると、普通の売店。しばらく待てという。やはり出船OKがでるまえにでたのはまずかったのか。リカーショップで酒を購入しようとしても、船に戻って・・・とかいっている。しばらく待っていると、客がでてきた。出船OKとのこと。さきほどに売店ではがきをだす。1ドルという。みていると、25cent切手を2枚貼っている。50セントでいいようだ。1ドルとは吹っ掛けたなと思ったが、手間を考えると、まあいいか。
10時50分ごろ、絵はがき、ラム酒のミニボトルを買って船にもどる。11時10分が集合時刻。ジャマイカの若者とスポーツ交流、35名の若者と3名の中高年男性。私は、観察者記録係に徹するいみで、ビデオをもっていく。 海岸は美しい。といっても都会ものの印象。瀬戸内海は、もっときれいだ、という人もいたが。サッカーに興じるもの。ビーチバレーをするもの。海に入って泳ぐもの。わたしも、いつもの浮身。本当に気持ちいい。喉が乾いたので、ジャマイカ産のビール、2ドル。アルコール度は低い。昼食はビュッフェスタイル(いわゆるバイキング)
2004.09.17 (fri) 第66日
6時55分起床 5:55に起きたと思っていたのだが、デッキに向かう途中、ラジオ体操のがっちゃんに出会う。デジタル時計の6と5を読み間違えていた。デッキを5周して、トパーズダイニングへ。朝食は、納豆、生卵、ウインナー、味噌汁の具は、油揚。リンゴ、洋梨。
今日の予定:
9:00~10:00 健康ヨガ
(11:00~11:30 手話教室)
11:00~12:30 嗚呼すばらしきかなコロンビア
昼食はトパーズ。和食お膳(ドアクローズ13:15)
14:45~16:00 カルタヘナ上陸説明会
17:00~18:00 Bamboo cedar Oak コンサート(シアター)
20:00~20:45 生演奏で踊りましょう(ウインジャマール)
21:00~22:30 スライドショー(南米大陸へようこそ)
ヨガが、普段とはちがう時間ではじまったが、これは講師の方が、ドラム作りに参加するため。私は20日の予定だが、手順を記録にとりたく、ドラム作りの場所、スポーツデッキにいく。へら鹿の革(セーム革)は、水につけられている。ちょっと匂いがするが、乾けばなくなるという。製作するドラムは、シャーマンが、祈りのときにつかうもの。製作時は、祈りの気持ちを忘れないように。アワビの殻で、香を焚く。セイジ? 円筒状の輪っぱの回りを紙やすりでなめらかにする。革には、裏表がある。毛穴がある、なめらかなほうが表。表側は、色やわずかな傷などがあるが、それはその生物の歴史(生前の活動)を現している。革はすでにおおきく切られている。輪にあてたとき、縁をこえて反対側にくる位置に穴をパンチであける。大切なのは、穴の数ではなく、穴の間隔。ギエモさんが、最初の2穴はあけてくれるので、その間隔であけていけば良い。内側に赤い輪がくる。その輪を、細い革糸で4方向から仮止めする。幅5ミリから10ミリ程度の革ひもをドラムの輪を4周とちょっとの長さにきる。端に切り込みをいれ、革の穴にとおす。革も赤い輪も上側から革紐をまわし、順に潜らせていく。革の穴を絶対に飛ばさない様に。
ここまでで11:00になったので、私は離席。
コロンビア紹介
PBスタッフのコロンビア出身の青年男女各1名が、ビデオの紹介解説をする。世界でもっとも生物の生態系が多様な国。人間もおなじ。麻薬製造、独裁政治など暗黒イメージの強い国だが、自己管理をしっかりすれば決して危険ではない、とか。
2004.09.18 (sat) 第67日 コロンビア・カルタヘナ入港
6時起床。デッキにいくが、すでに、パイロットは乗船。港にちかづいている。
7時入港の予定だったが、40分程度おくれる。オプショナルツアー(マングローブの森でのんびり)は、集合時刻の変更はなく、8時15分ブロードウェイ。約70名、バス2台。ビデオ持参しよう。
バスで3時間ほど。海岸に着く。まわりは、カルタヘナの人々が週末を過ごしに来るところ。海岸から内陸側に入り江があり、そこに大きなマングローブの森(というか茂み)がつづく。マングローブという植物種があるわけではなく、汽水(淡水と鹹水が混じったもの)に育つ植物の総称だとか。よく見ると、いくつかの種類がある。約1時間。水深30センチ程度の入り江(うまく表現できない)で、森のなかを遊覧。小舟に入り込む水を掻き出す役の少年が、水から手づかみで魚をとる。木には、フジツボや蟹。すっかり堪能した。しかし、村人の生活レベルは、劣悪。主食は、魚だとか。投網をうつ姿がみられた。
2004.09.19 (sun) 第68日
5時55分起床 太極拳、ラジオ体操。朝食は、ヨットクラブ。トースト、オレンジジュース。ヨーグルト、フルーツポンチ。左舷側に、陸地がみえる。パナマとのこと。天候ははれ、波静か、うねりなし。
今日の予定
8:30~ 9:30 瞑想の旅(ナイジェル)
10:00~11:00 続太鼓塾入門編
(10:00~11:00健康ヨガ)
11:00~11:30 手話教室
11:30~ 昼食
13:00~14:00 わくわく寄港地番外編(パナマ運河)
14:15~15:35 憲志の学校~グアテマラ入門~
16:00~17:30 違うままで一つになる(岡野弘幹)
(16:00~17:20)苦難から希望へ~グアテマラの人々~
19:30~20:00 テロリストはだれ(パナマ編)
20:45~22:30 Bamboo Cedar Oak コンサートvol.3
今日はいそがしい。企画物で、一日中うまってしまう。
ドラムをつくるが、たたき方がわからない。太鼓塾入門編が参考になるのではないか。マリオ・コディネスさんの話もききたいが、岡野さんとぶつかっている。20日14時からのドラムつくりは、予定通り実施される。
ナイジェルの瞑想の旅:彼の出身地の自然から採取した音をバックに、フルートの響きを聞かせてくれ、心地よい気持ちになった。本物なんだなぁという感じ。昨日につづき、プール&ジャグジー、9時半なのに日差しがきつい。水着のまま、太鼓塾へ。Kさんが熱心にやっている太鼓。ドラムとおなじかと思って参加したが、打ち方は全く別のよう。でもせっかくだから、やってみる。まずは、左手の打ち方。足先をひろげて中腰に。右手は、前にだし、左手は、右肩肩甲骨にのせる。これが基本姿勢。腰はすこし下げた状態。左手をおろすとき、腕とバチは、直角に。こぶしを右から左に回転させるようにスナップを利かせて、太鼓をうつ、打ち終わると同時に腰をのばしながら、腕もまっすぐ前に高くのばす。体は、まっすぐ正面をみたまま、傾いたりねじったりしない。上にあげてそのまま、腰を落としながら、左手を右肩におろし、最初に形にもどる。以上が手順だが、実際に腕を動かすとなかなかむずかしい。のんびりといこう。
太鼓に夢中になって、手話のほうは、時間がまにあわなくなった。ドラム作りを見学して11時30分、昼食をトパーズで。今日は、ビュッフェ形式のビーフカレー、豚カツやポテトコロッケ、野菜、フルーツ、ケーキと色とりどり。とてもおいしかった。
わくわく寄港地パナマ運河編は、13時半ごろ終わる。デッキにあがってみると、すでに湾内に近づいている。ビデオカメラをとりにもどる。投錨の瞬間を記録しておきたい。憲志の学校は、断念。運河のほうからは、2隻やってきた。落ち着いたのが、15時20分ごろ。
2004.09.20 (mon) 第69日 パナマ運河通過
5時30分起床(船内放送があったので)
これから運河に入るという。早速、ビデオとカメラをもって甲板に。デッキにでると、まだ暗い。岸壁のライトが目の前。船首にむかう。すでに人が大勢。頭ばかりで、とても前がみえない。腕をのばし、かろうじて正面をうつす。閘門のなかにはいるころには明るくなる。閘門の仕組みを理解するためにしっかり、ビデオはまわそうとおもう。そのため、デジカメのほうは、すこししか撮れなかった。ガツン閘門をすぎて、湖にでたので、カメラのほうは、データをパソコンに転送。湖のようすは、ビデオをお休みして、デジカメにまかす。10時すぎ、プールデッキにいくと、ドラム作りがはじまったばかり。本当は14時からなのだが、最終日だし、前倒しできないか。平山君はいない。サポートの礼子さんは、大丈夫ですよというので、早速製作にとりかかる。水に濡らした革は滑りやすい。ギエモさんは、軍手をつけていた。革をはり、仕上げは、ギエモさんに頼む。中の十字ひも(三つ編み)は自分でするが、最後に締めは、ナイジェルさんにたのむ。なかなかの完成だが、出来上がってよくみると、革の2箇所で、薄いところがある。きりしろの寸法を気にしたが、革の厚みは気がつかなかった。使用する際には、要注意。
12時少し前に出来上がった。ちょうど昼食時期。和定食だ。なかなかの味。次の閘門に近づいたので、今度は、船尾側から観察。人がすくなく、ゆっくり十分記録がとれた。ポイントでは、デジカメ写真も。2時過ぎ、全てのショーが終わった。最後にパナマ市街の遠景、アメリカ橋をとろうとしたら、カメラの様子がおかしい。画面に何やら文字がでるが、日があかるくて読めない。部屋にもどり確認してみる。なんと、メモリーカードがはいっていない。パソコンは、と見るとそこにSDメモリが刺さったまま。湖以降の写真は、すべてとられていなかった。(ショック!!!)
2004.09.21 (tue) 第70日
午前5時50分起床 太極拳、ラジオ体操
朝食は、ヨットクラブ。右舷側に緑の陸地がみえる。
本日の予定:
8:30~ 9:30 瞑想の旅
10:00~11:00 太鼓塾入門編
11:15~12:30 憲志の学校グアテマラ中級編
13:00~13:30 手話教室
14:15~ 上陸説明会
17:00~18:00 ギエモのドラムサークル
19:00~ シアター
21:00~22:00 障害について話そう
2004.09.22 (wed) 第71日
5時起床(昨夜時差修正を忘れていたため) せっかく起きたので、新聞を読んだあと、デッキにむかう。日の出がはじまるころ。すでに数人がいる。イルカだの声。6時まで、あちこちに現れるイルカを観察。6時から太極拳。途中で、スコール。ラジオ体操がはじまるころには止む。でも途中、イルカ発見で、中断。ヨットクラブで朝食。
今日の予定:
8:30~09:30 瞑想の旅(ナイジェル・ショウ)
10:00~11:00 太鼓塾(休み)
11:15~12:45 グアテマラの今(マリオ・コディネス)
13:00~14:00 わくわく寄港地グアテマラ編
昼食(ヨットクラブ)クリームシチュー
16:00~17:00 健康ヨガ(休み)
17:45~ 夕食(トパーズ)
20:20~ ドラム隊集合
20:45~23:00 BAMBOO CEDAR OAK ラストコンサート
ちょっと頭がいたい。太鼓塾は、休ませていただき、OTさんに連絡。依頼事項を処理。デジカメメモリーのデータセーブとクリア。カメラの日時設定が初期化されていたので、修正。OTさんから、薬(ミグレニン)をいただく。30分ほどで、さすが痛みがぴたりと止まった。
明日の交流用に、最後の竹トンボを10機作成。ヨガも休む。ナイジェルさん単独の最後のイベント。CDを持参し、サインをもらう。ついでに記念撮影も。その後、竹トンボの軸つけをする。終わったのは、1時過ぎ。
2004.09.23 (thu) 第72日 グアテマラ・
6時起床 デッキにあがるとすでに入港準備中。小さいが非常に美しい埠頭。観光に特化しているため、ターミナル機能がまとまっている。
今日は、グアテマラ上陸。マヤ先住民族の家でホームステイ。
グアテマラ内戦のとき、非武装にもかかわらず反政府武装勢力とみなされ、山岳地帯ににげ隠れた先住民族。和平後、山を降りたが、かつての土地は、政府側住民に占拠されていた。NGO団体の協力を得て、海岸地帯の土地を購入。そこで、共同生活を送っている。いまでもいろいろな形で政府から迫害をうけている。内戦時の迫害の状況を、内外に知ってもらいたい。子どもたちにも伝え、ひとつひとつの事実を記録させていた。親が子に伝える内戦の記録
ホームステイ先では,2家族10名が、一つの家に住み、片隅にかまど。調理用の石盤。他の3隅には、木製ベッド。我々には、木製ベッドを1つ空けて用意してくれたが、頭がつかえるので、結局、土の上(日本の農家のたたきと同じ)に、ゴザを引いてごろ寝。それでも枕代わりに、家族のものと思われるズボンを数枚折り畳んで置いてくれ、洗い晒しのシーツを掛けてくれた。精一杯の歓迎だろう。深夜、トタン屋根がバタバタとする。牛や鶏も啼く。自然のなかに溶け込んだ感じ。土のうえなのだが、なぜか清々しい気分で一夜を過ごした。
2004.09.24 (fri) 第73日 マヤ民族の共同体でホームステイ
5時20分起床 5時ごろ、お父さんが、電灯をつけた。
鴨が子どもをつれて家の中に入ってくる。しばらくして、外に追い出した。外にある便所にいってみる。暗いので懐中電灯をつけながら、大きい方の用をたす。便器の中は、土か灰。肥え溜めはないので、清潔な感じ。あとの処理はどうするのだろう。
5時30分集合で、近くの農地での混合自然農法の実験を見学。多様な植物を植えることで、相互作用がはたらき、無農薬栽培が可能だとのこと。8時にもどり、ステイ先の家族と朝食。小豆のような豆をトウモロコシの粉団子で包んだもの。塩大福の感じで、私には美味。3ヶたべてしまった。あまいおかゆのような飲み物も飲み尽くす。抵抗する共同体という名のコミュニティーであり、住民間の団結は強く、まずしいながらも、秩序正しく、我々にも媚びることなく毅然とした対応をしてくれたのは、他の国とおおきく異なっていた。グアテマラという土地・そこに暮らす人々が、なんだか好きになってきた。
2004.09.25 (sat) 第74日
5時45分起床 ちょっと早いが、新聞をとってデッキに出る。日はまだ昇っていない。東の空は薄明るいが、水平線ははっきりしない。陸地と雲が一緒になっている?
360度船影はみえない。6時2分太極拳がはじまる。その最中に太陽があがる。
ラジオ体操をはじめようとすると、右舷側で、イルカだの声。体操はそっちのけ。イルカのショウを見物。今回は、数もおおい。船のすぐ近く。思う存分堪能した。カメラ撮影もしたが、あとでチェックをしてみると、シャッターが落ちたときは、いづれも着地の直後。水しぶきしか写っていない。メモカメラではやはり無理だった。
体操をおえ、船首にむかう。こちらはもっと、楽しかったという。船首の左右をイルカが飛び回っていたとか。7時トパーズダイニングにいく。今日から夕食が後半食になる。前半食を申し込んだが、残念落選した。できるだけ、食事を遅くしなければ。食事後、臨席のご婦人に手話指文字のことを聞かれる。名前をきくのを忘れたが、Fさんのいとこだとのこと。関西のほうで、音訳をやっておられる。今度手話教室であったら、名刺を交換しよう。「指文字」の表をプリントしたほうがよいかな。
今日の予定
10:00~ 太鼓塾
(10:00~11:00)健康ヨガ 太鼓を始めたので、参加できなくなった
11:00~11:30 手話教室
13:00~ 昼食(トパーズ)ドアクローズぎりぎり
14:15~15:45 佐藤太の泣き笑い ちょっと面白い人間
16:00~17:45 映画「鳥の歌」 差別意識とは?
19:30~ 夕食(トパーズ)
(21:00~22:00 どうだったグアテマラ)
22:30~00:00 2005年問題がやってくる
2005年問題とは、「新しい歴史教科書」が、来年、全国での採択を期していることをいう。いろいろ意見の出る「歴史教科書」問題だが、わたしも一般市販されているものを読んでみたが、とても推薦できるものではないという印象をもっていた。アジア諸国をまわり、中南米をみて、少数民族の自活、共存の重要性を認識した。国家・民族レベルで「マイノリティ」を考えると、「新しい歴史教科書」を作った人たちの歴史認識は、まったく前時代的と思えてくる。
2004.09.26 (sun) 第75日
6時15分起床 太極拳は、最後だけ。ラジオ体操。海はべたなぎ。体操中にはイルカが現れなかった。船首へいき、しばらくすると、前方に黒い小さな群れ。船の近くにきたが、すこし小ぶり。水面ぎりぎりのジャンプ、あまり元気がない。メモカメラでは、やはりうまく撮れなかった。ヨットクラブにもどり、朝食。
今日の予定
10:00~11:00 太鼓塾入門編 昨日まで体調がおもわしくなかった。今日はぜひ参加したい。
WEBメールチェック
12:00~ 昼食
PPTメール作成
16:00~17:20 山之内貘の軌跡
手話、絵はがき 印刷
19:30~ 夕食
20:30~21:00 フェアトレード「児童労働のはなし」
21:00~22:00 ガラパゴス・スライドショウ
22:30~00:00 こだわりの深夜企画「となりのトトロと里山保全運動」
2004.09.27 (mon) 第76日
6時15分起床 太極拳は最後のところに参加。ラジオ体操。
昨夜は雨だったのか、東の空は、雲があつい。日の出は、厚い雲にかくれてみえない。朝食はヨットクラブ。そのあと、船首にむかう。イルカも今朝は姿をあらわさない。海鳥が4羽旋回中。飛び魚が、いっぱいいたが、撮影はいずれも失敗。ヘミングウェイ横で、新聞をみながら今日のスケジュールを確認。部屋にもどって、カメラを忘れたことに気づく。ヘミングウェイ横にもどってみたが、見当たらない。レセプションにいって棚をみたがない。すでに数回忘れ物で面倒かけて声をかけるのは躊躇。あきらめて、予備のカメラを準備しておく。この記録を書いているとき、同室のSさんがやってきて、「カメラを失くしませんでしたか。レセプションから連絡がありましたよ」。レセプションにいく。ヘミングウェイのバーテンダーがみつけて届くてくれたそう。入れ違いだったようだ。ボケが段々ひどくなる。
今日の予定
09:00~10:00 健康ヨガ
10:00~11:00 太鼓塾
昼食
14:15~15:35 カナダにいきる先住民
20:45~22:00 ピアノコンサート
22:30~00:00 深夜のこだわり企画
2004.09.28 (tue) 第77日
午前6時起床 昨夜時差修正作業を間違えてしまったため、再調整。
太極拳、途中で朝日が昇る。初めて水平線から顔をだすところをみる。ラジオ体操。
朝食は、トパーズで、納豆。生卵もとったが、あまってしまったので、そのママ飲み込む。子どものころ、運動会当日の朝を思い出す。
今日の予定
10:00~11:00 健康ヨガ
11:00~11:30 手話教室
昼食
13:45~15:45 I love JAPAN「在日戦後50年史」
16:00~17:20 戦い続けるリルワットの人々
夕食
20:30~22:00 資本主義において機能する相互依存システムとは
22:30~00:00 深夜のこだわり企画寄り道編 サザンの「悲しみはメリーゴーランド」と在日コリアン
明け方、喉が痛かった。また風邪を引いたのかもしれない。太鼓塾は自重する。このメモを書こうとしていたら、同室のSさんから、次回企画の構成が出来上がったとのこと。パワーポイントとアクロバットで、プレゼン資料作成。10時過ぎまでかかってしまったので、健康ヨガも中止。指文字50音のコピーを5部作成。
11時手話教室。10/2の音楽祭で披露する2曲。「上を向いて歩こう」と「世界に一つだけの花」を練習。昼食はトパーズで。同年配の女性と同席。あと20日の辛抱だという。船旅の楽しい点つらい点など話に花が咲く。私は、赤ワインを注文。気心の知れあった友人と2人で参加したのだが、途中で人間関係がまずくなった。相手も同じように苦しんでいるんだろうなと思いなおし、お互い干渉せず、自由に行動するようになって、いまは、また快適に過ごしているとのこと。そういう意味では3カ月というのはちょうどよい期間なのかもしれない。とおもった。食事が終わって、Hさんの竹細工工房で、雑談。毛糸の編み棒の作成を手伝う。
在日コリアン50年史。たしかにこれは、我々の戦後50年史でもある。客観的に淡々と在日の人達をめぐる出来事をドキュメントしている。いま法制上は、在日の定住が認められているようにみえる。しかし、韓国と日本政府の間での決め事。日本における「外国人」の概念は、まだまだ島国意識から抜け出していないのでは。多民族国家になるには、民族と国家とを切り分ける智慧が必要。
憲法改正が議論されているが、変えるときがあるとすれば、いわゆる日本人が、「多民族国家」を許容するときであろう。
2004.09.29 (wed) 第78日
5時55分起床 太極拳、ラジオ体操。デッキはまだ暗い、風がつよく寒い。トレーナー上着を取りに戻る。朝食はヨットクラブ。喉があいかわらず痛い。頭も重たい。無理はできない。
今日の予定
10:00~11:00 健康ヨガ
14:15~15:35 I LOVE JAPAN 日本のODA
22:30~00:00 こだわり企画日本とアジア諸国との和解は可能か
今日は参加したい企画が少ない。日記の整理をしよう。
2004.09.30 (thu) 第79日
5時5分起床 頭が重い。外も寒そう。風邪がひどくなったのか、痰がでる。太極拳をする気がしないので、船内新聞をとったあと、企画をみながら時間をつぶす。ラジオ体操は、ブロードウェイ。終わってから、甲板にあがってみる。空いっぱいの曇天、小雨もちらほら。レセプションにいき、現在位置を確認。ロスアンゼルス沖のよう。トパーズで、朝食(納豆、茹ゆでたまご、サバ?の切り身)。今日はフォーマルナイト。ジャズコンサートとフォーマルディナーがある。気が進まないが、荷物の整理も兼ねて参加するか。
昼食は、和食。ちょっと楽しみ。そういえば米飯は2日おきぐらいしか食べていない。
太鼓の練習をしたいのだが、体調が心配で出来ない。
今日の予定
10:00~11:00 健康ヨガ(サンシャインデッキ:寒そう)
11:30~12:00 手話教室
14:00~15:00 46'sアルバム 撮影と会議
14:15~15:35 約束はどこへいった!!。
15:45~16:15 ギエモドラムもっているひと集まれ
16:00~17:00 [9]に込められたメッセージ
17:45~ ジャズコンサート
19:30~ フォーマルディナー
22:30~00:00 市民がつくる世界の常識「民衆法廷」
2004.10.01 (fri) 第80日
午前7時10分起床 目が覚めたのは6時だったが、喉が痛い、風邪をこじらせた感じがするので、太極拳、ラジオ体操は休むことと寝ながら決め込んだ。7時8分(7時7分が標準なのだが?)おなじみ徳久さんの甘い食事準備完了のアナウンスで、起き上がることにする。
メニューをみると、トパーズダイニングは、納豆。当然、トパーズにむかう。なぜか今日は生卵がない。明後日のカナダバンクーバー入港で、当局の指示によるものなのか。ニューヨークについで検査が厳しいとのこと。ヨットクラブでの簡易食事も取れなくなった。
今日の予定
10:00~12:00 目の健康講座(同室のSさんが講義。私はPC操作のアシスト)
昼食
14:45~ バンクーバー上陸説明会
夕食
19:45~ 音楽祭リハーサル(手話歌)
22:30~ こだわり企画
朝、恒例?の日記を書こうとしたら、後ろのソファにいる人から相談を持ちかけられた。知人のデジカメのデータをCDーRに取り、デジカメのカードメモリのほうは削除してしまったが、そのなかの一部の写真をプリントアウトしたい。デジカメ直結のつもりでプリンターを用意してきたので、パソコンにはプリンターがつなげない(ドライバーなどソフトがない)。CD-Rのデータをデジカメにもどす方法はないか、というもの。
早速CD-Rのデータをみせてもらった。なぜか、ファイル名がデジカメがつけたものと変わっている。カメラからPCに転送する際の、手違い(勘違い)によるようだ。カードメモリはコンパクトフラッシュ(CF)。そのまま、CFに戻してもデジカメで認識できないので、ファイル名をリネイムソフトで、一括変更する必要がある。ここで、9時50分になる。10時からの予定があるので、CFを拝借。午後から作業をすることにする。
昼食がおわってから、リネイム作業をする。CFにコピー。無事、認識できた。Kさんの例もあるので、新規画像の撮影もしてみて様子をみる。異状なし。一件落着。時刻は1時半。上陸説明会までを、竹細工現場で過ごす。明日の文化祭に出品(チャリティー販売)する、毛糸編み棒や、演劇小道具の槍。
夕食と重なったため、音楽祭リハーサルには出れなかった。Sさんから、文化祭でのスライド作成を依頼される。緊急放送がある。日高さんの声。重大な連絡があるので、ブロードウェイに集合してほしいとのこと。いってみると、スタッフがみな、黒、黒のネクタイで入り口に整列。ただならぬ雰囲気。日高さんの話は、本日午後3時乗船者のOさん(女性)が心臓発作でなくなられた。家族と連絡をとり、バンクバーで帰国される。いっしょに一周したかったのに残念、というとき、彼は、言葉がとぎれた。1分間の黙祷で、おわった。過去にもこういうことはあったと聞いていたが、この船でおきるとは。部屋にもどり、スライド作成をはじめる。
9時45分あわてて、バンクーバー見どころ紹介を聞きにいく。1日目の人類学博物館から離脱して自由行動がとりたいため。2日目は、スタンレー公園にいきたい。
22:30 深夜のこだわり企画に参加。重たい内容だが、それだけ意識のなかに食い込む。眠気はまったくおきずに1時間半がすぎた。マイノリティー、異文化に対する受容。自分のなかの何かが変わっていく気がする。これも洗脳というのだろうか。マインドコントロールされていると人は感じるだろうか。
ピースボートとはなにか。ふしぎな共同体(コミュニティー)ではある。
そろそろ、同室SDさんから頂いた手記を読む時期かな。
2004.10.02 (sat) 第81日
7時15分起床 目が覚めたのは、5時50分。喉が非常に痛い。体力の温存につとめたく、太極拳、ラジオ体操はやすむ。6時45分 朝食案内の放送。今日からバンクーバー出港の4日まで、ヨットクラブの食事はない。同室のSさんが戻ってきたので、PCの電源をいれてもらい、昨夜完成した、プレゼン資料をコピー。終わってからトパーズにいく。食堂前では、ちょうど新聞が刷り上がったところ。サーブを待つ間、新聞をみる。今日は、6人席。いずれも中高年。御夫婦?も2組。ビュッフェ形式でないので、普段と勝手が違う。あまり食が進まない様子。昨夜の緊急集合の件もあるし、結局食事がおわる間、会話は一つもなかった。
甲板にあがる。曇天。寒い。カモメが1羽、船の回りを旋回中。遠くに漁船?が1隻。今日は、楽46祭(秋の船上文化祭)なのだが、
今日の予定
11:00~ ダンス発表会リハーサル
13:00 昼食
13:30~15:00 ダンス発表会(ギエモドラムのメンバーとして参加)
15:30 全体集合写真撮影(前方デッキ)
16:00~18:00 トパーズ文化村
19:30~ 夕食
16:00~ 音楽祭リハーサル
20:45~23:00 音楽祭
昨日亡くなられたひとのことを噂レベルだが聞く。69才?79才の女性。3人が同室。同室の人が戻ってきて、異状を発見。企画に参加したり、プールで泳いだり、元気な人だったそうだ。今日の船内新聞には、徒然草のなかのことば「人間の生死はいつ訪れるかわからない」を引用したあと、こう記されていた。「楽しいときも苦しいときも嬉しいときも辛いときも、どんな時であっても私達が生きていられることの意味を、見守ってくれる者の存在を決して忘れてはならない。昨日亡くなられた方のご冥福を心からお祈りします。」私は、自殺(自死)肯定派だが、もしかしたら宗旨がえをする?
あすは、バンクーバー上陸。
2004.10.03 (sun) 第82日 カナダ・バンクーバー入港
7時10分起床 朝食はトパーズ(セットメニュー)
8時15分集合で、オプションツアー「先住民族の生活と歴史体験」に参加。
メンバーは,30名程度。年配者が多い。午前中、博物館横のヘリテイジハウスで、ドリームキャッチャーというお守り(夜中にあらわれる悪夢を蜘蛛の巣でつかまえ、いい夢だけみるというもの)をつくり、先住民族のかたの手作り料理で、昼食をとる。午後は、UBC(ブリティッシュコロンビア大学)人類学博物館の見学。という段取りだったが、ヘリテイジハウスに、現地の受け入れするひとが現れない。数十分待ってわかったことは、ヘリテイジハウスが、ダウンタウンにもあり、そちらで準備、待っていたとのこと。迎えのバスがくるまで時間があるので、新渡戸稲造記念庭園を見学。盛岡市民からの顕彰碑もあった。カナダ産の杉に日本からの樹木、池がうまく調和していた。ダウンタウンのヘリテイジハウスは、回りが住宅街。公団のタウンハウスや堀之内あたりに見られるような集合住宅が、ならんでいた。その中に船長だったひとが100年ほど前住んでいた家が文化遺産として保存され、地域の多文化交流センターとして使われている。先住民族(ネイティブネイションズと呼ぶ)との交流も盛ん。白人のなかにも、ネイティブネイションズ(以下NN)に理解をしめす人は大勢いる。だが、NNは、現状を白人(といっても、黒人、東洋人を含む)に土地を占領されているという。カナダ政府との間の土地所有に関する契約をいまでも拒否し続けている人もいる。ドリームキャッチャーのつくり方を教えてくれた人に、NNの祭りのことについて質問したら、「自分は、仕事がほしかった。町にでるために、居住地から離れ、NNの権利を放棄したので、祭りを経験したことはない」という。白人側とNN側の意識ギャップは、大きい。手作りの昼食は、サーモン、ビーフ、ターキー、パン、フルーツ、ケーキなど盛り沢山。とても食べきれない。幸いビュッフェ形式だったので、余ったものは、食事に困っている人達を支援している団体に渡すので、無駄にはならない、と聞いて安心。そういえば、開店前のレストランの扉に「NO MONEY LEFT AFTER 9 O’CLOCK」と書いてあったのを見た。夜9時以降に左手の入り口で、あまりものを配るというのだろう。失業率10%、町なかに物乞い(女性もおおい)が多くいて、美しい街の別の1側面をみる。
食事後、ドリームウォッチャーを一人ひとり制作。要領を得るとそれほど難しくはない。根気が必要。材料は、すべて手製で準備されたという。1時間とちょっとで全員完成。最後のコース、人類学博物館にもどる。約1時間であったが、トーテムポールなどに、圧倒される。詳しく調べたいが、ほとんど伝承がないという。展示物にも採取場所・時期は書かれているが、解説はない。
帰路の途中、ダウンタウンで離脱。バンクーバー発祥の地ガスタウンを散策。ここは、繁華街、みやげ物店もおおく、物乞いをするひとも大勢。蒸気時計なるものを始めてみた。蒸気機関が、ゼンマイ代わり。15分おきに時刻を知らせる汽笛がなる。
船にもどって、ひとり。時間があるので、同室者からいただいた、印刷物をよむ。タイトルは「もう一つの生き埋め事件」。10数年前、佐賀県でおきた、生活指導の教員が生徒を砂浜に埋めた事件で、同じ学校に勤務していた、同校の暴力的体質に批判的だった女性教師が、事件の報道機関への密告者として疑われ、心労により胃ガンで亡くなった。女性教師の夫である同室者が、思い半ばでなくなった夫人の代わりに、事件をめぐっての、学校の状況などをまとめたもの。読んでみて、このような学校があるのかとおどろく。おなじく教員である同室者は、定年をまたず退職し、フリースクールを開設する予定だという。「タイムスリップできたら、先生を殺したい」別の本で読んだ少年の言葉だが、学校が自己表現の唯一の場であり、楽しくて仕方がなかった自分の体験とのギャップがあまりにも大きい。教育の方法が多様化することは好ましい、しかしコミュニティ(共同体)の学校である「公立校」は、どうあるべきか。「公衆」のための学校、「民衆」のための学校、どちらでもよい。でも、「公民」のための教育だけは、お断りしたい。
2004.10.04 (mon) 第83日 バンクーバー 2日目
7時起床 朝食はトパーズ。同室者2名は、1泊のオプションツアー参加。もう一人は、10時15分出発の市内観光ツアー。私は自由行動。体調は極度に悪いが、昨日の行動を絵はがきにして、今日中に投函しなければ。船内専用〒シールが4枚あるので、今日3枚つかってしまおう。残り1枚は、今日の絵はがきを作成して、ペテロパブロフカムチャツキで投函予定。これで船内作成絵はがきは、おわり。プリンターは、片づける。
今日の予定
・スタンレイ公園で、水族館、トウテムポールをみる。時間があれば、公園を一回り。
・みやげ物ウォッチング
帰船リミット 5時30分
絵はがきを作成、レセプションに渡したあと、10時20分出発。行動が自由にできるように、ワンデイパスを買う。8ドル。シニアは6ドルなのだが、カナダでは65才からがシニア。散歩がてらにと、スタンレイ公園にむかう。途中、ヨットハーバーや、マンション群、土地再開発計画のところも。事務所、住宅、ホテルなどで、商店がすくなく、物乞いもいない。公園入り口近くに、レンタサイクルの店があると聞いていたが通りを間違えたのか見当たらない。探すのも面倒なので、そのまま公園に。公園といっても1周20KM近くある大きな島。海岸よりを散歩。車いすの人にも数人出会う。電動で一人のひとも。紅葉がきれい。15分ほどで、水族館。大人は16ドル。あいにくカナダドルがないので、米20ドルをだす。居合わせた日本人男性が、年配にみえたので、65歳以上だったらシニア料金になりますよ。といってあげたが、まだ63才だという。受け付け嬢に、「シニア シクスティファイブ」と、カナダでは、シニアは65才からなんで、残念という気持ちでいったら、「オーグレイト」という。意味が、わからず、「私はいくつにみえる」ときくと、ちょっと考え「47才」と。お世辞がうまいな、おもわずこちらもわらう。チケットといっしょにお釣りがきたが、みると10ドルカナダ札がまじっている。米20ドルは正規レイトで、25カナダドルだから、おつりが10ドルもどるわけはない。どうやら、私を65才と扱ったようだ。
水族館では、ベルガ(白くじら)のショウをみる。ダウン症の家族づれが隣にいた。回りと違和感なく、楽しんでおられたのがなんとも微笑ましい。イルカのショウなども楽しんだので、水族館をでたのは2時近く。トーテムポールは、一カ所に7本集まっていた。それぞれ解説がついていたが、昨日古本屋で、スタンレイパークのトーテムポールという本(英語)をみつけ手に入れていたので、そこそこに引き上げる。海縁を散歩しながら帰路につく。海鳥が、止まっているが、近づいても逃げない。この街は、本当に生物がたくさんいる。水族館のそうだったが、自然保護に力をいれていることがいろいろなところに表れている。
2004.10.05 (tue) 第84日
6時10分起床 今日はリラックスデイ。全ての企画がおやすみ。太極拳、ラジオ体操もなし。
右舷に陸地、灯台の明かり。左舷側にも島影があるという。まだ、海峡を抜けてない様子。レセプション脇の海図を見に行くが、まだ変わっていない。ヨットクラブで、モーニングコーヒー。そのまま、トーストで朝食をすます。東の空は山影をバックに明るくなってきたが、太陽がどこからでるかわからない。レセプション横の海図を見に行く。まだ変わっていなかった。もどる途中アッパーデッキで窓からみると、日が出始めた。あわててスポーツデッキにいく。
海から日が昇る。つよい光に、西の左舷側を見ると、虹。右舷側にも。しかも2重。だんだん明るくなり、ついに内側の虹が半円でつながる。デッキの上で歓声。並んで記念写真をとる若い男女のグループ。やがて太陽は厚い雲のなかに。小雨がぱらついてきた。
今日の予定
15:00 全員で、記念の集合写真(前方デッキ)
咳がひどいので、4回目の診療室訪問。すでに名前を覚えられている。胸の痛みのほうはどうですかと聞かれ、その後異状はありません。今回は、風邪ですが、前回とは症状がちがいますという。体温は36度5分。他にも同様な症状の人がいるのか、喉の検査、聴診器をあてたあと、トローチ、咳止め液、痰の切れをよくする錠剤を頂いた。
昼食は、トパーズで。バンクーバーの自然の豊かさ、サイクリングの楽しさなど、同席の人たちと話がはずむ。みなさん、もう一度来てみたいという印象。食後、一休みしていると、以前デジカメの相談にのってあげた方から渡したいものがあるからと電話あり。お礼にとワインをいただいた。昼過ぎにデッキにでてみると、日が差している。しかし風がつよい。前方デッキには、いけない。揺れもひどい。14時ごろ写真撮影は、天候不良のため中止との放送があった。また、ベッドで一休み。寝ながら考えた。ちょっとした相談にのってあげただけなのに、お礼とは。他にも何人かのかたから、それぞれの思いで礼をいわれてきた。街で果物を買ったのでとか、オーバーランドツアーでのお土産のTシャツとか。一緒に食事時にビールを飲むとか。物品のみを金額に換算すると千差万別。困っているから、と手助けをしたとき、こんな見返りがくるとは思ってもみない。自分の都合が許すかぎりのことだったから。でもこうして過分の物をいただいていいのだろうか。つぎから、自分の心の中に、見返りを期待する気持ちがでてこないだろうか。そんな心配をするなら、お礼をいただかなければよい。でもせっかくの気持ちを断りきれない。そう考えているうちに、あることに気づいた。中学で習った、理科。作用反作用のことを。物に力を加えるとそれと等しい反作用が逆方向に起きるというもの。なぜ反作用が起きるのかわからず不思議な印象をもったことを覚えている。等価な反作用がおきるのは、その物が静止しているとき。反作用がすくなければその分移動がはじまる。物を頂戴したときも、反作用が働かなければ、当然、自分自身のスタンスが動いて変わってしまう。では、反作用とは。わたしは、(物を)頂くという行為の反作用は、頂いて「あげる」ということだと考えた。非常に誤解しやすい表現だが、こう考えれば、作用と等価な反作用が実現し、自分のスタンスが変わらずにすむ。私は、「慈善は嫌いだ。偽善と聞こえてしょうがない」といっている。施しをうけたことのある小児体験からの気持ちなのだが、「作用・反作用」の考えを導入すれば、慈善をするほうも、されるほうも、気が楽になる。これからもボランティアを続けられるかも。ひとつ「持続可能な」メソッドを発見した(ような気になった)。
2004.10.06 (wed) 第85日
5時30分起床 昨夜時差調整を忘れたため、6時半におきたつもりだった。揺れはさらに激しくなった。デッキにあがるとまだ暗い。同室のSWさんは、ショッピングアーケードの長椅子で、仮眠中(どうやらそこが一番ゆれが少なそう)。時計を修正して部屋に戻り、また寝る。気分がわるいので、太極拳、ラジオ体操は休もう。こんどは7時半。4階のトパーズダイニングへいく。皿は、紙トレー。調味料のビンも置かれていない。危険防止のため。トレイは、クルーが運んでくれる。食事中、大きな揺れがおき、ひとり、椅子といっしょに倒れる。クルーが4,5人で起こす。けがはない模様。オープンデッキにあがり、必死で、数枚写真をとる。7階アッパーデッキにもどる。悪天候のため、オープンデッキにはでないようにとの放送がある。
今日の予定
(10:30~11:30 健康ヨガ)
11:00~11:30 手話教室
体調がかんばしくなく、太鼓塾は、途中離脱だ。
ホームページ作成の準備にかかる。PPT形式ファイルをパワーポイントでWEBファイル化してみたが、stylesheetを使いすぎたものができてしまう。船上での制作はあきらめる。
9時半ごろ、船長からの緊急放送あり。悪天候のため、進路を変更する。全員の安全のため、速度をこれ以上あげることはできず、ペテロパブロフスクカムチャツキへの寄港は断念せざるをえない。本船は、いま南下しており、発達性低気圧をさけながら、東京へむかう。というもの。今朝日の出のとき、太陽が左舷後方にあるのを不思議におもったがこれで納得。
1時から、ブロードウェイラウンジで、説明会を開くとのこと。
久しぶりの手話教室。ゆれがひどく5名ほどしか集まっていない。みなで、バンクーバーでの出来事を報告しあう。オーバーランドツアーにいった人。2日間自由行動だった人。それぞれ、手振り、口話をまじえて出来る範囲での手話表現、30分はすぐ過ぎた。10/15の収穫祭にもエントリーしたいと久美さんが提案。みな賛成。
昼食がおわって1時半、ブロードウェイにいく。超満員。天気図をもとに船長が説明。エリックが日本語に通訳。説明後、質疑。Q1)進路を変えるというが、油や食料、水の問題はないのか。A1)食料、水の心配はない。カムチャツキは、給油港でないのでこれも問題ない。油の節約は考えていない。逆に(エンジン全開で)余分に使うかもしれない。Q2)今朝の説明で1日半おくれというが、まだ出港してから1日半しかたっていない。おかしい。A2)今後の状況を推定すると1日半おくれという意味。Q3)ロシアに寄らないのなら、逆に日程を早めて日本に帰れるようにしてほしい。A3)最大限の努力をする。Q4)南下するなら、いっそハワイへいけないか(笑い)。A4)ハワイは、もっと遠い。Q5)この先、波はもっとひどくなるのか。A5)わからない。太平洋のことは、私よりみなさんのほうが詳しいのでは。
以上で船長の話はおわり。JGの本山さんより、ロシア寄港のためビザ取得費用を預かっているが、これをお返しする、また、オプションツアーもすべて催行中止となるので全額返却、ボーディング費も返却することになるが、船内には、全員分の現金が用意されていない。返却方法については現在検討中。との話あり
PB日高事務局長からは、「残念だが、悪天候なので致し方ない。残された日を有効にすごせるよう、つとめよう。」
荷造り準備をしてもよいのだが、気が進まない。今日は個人的リラックスデイとしよう。
今夜もまた、時差修正。東京との差 ー17時間となる。
46クルーズ記念アルバム(46’よろバムという)が、完成。明日から焼き込みに入る。手伝いにいこう。
チキンのはなし:ブロイラー種というのは、食肉用に開発された一代限りの品種(種なしスイカとおなじ)で、親鳥は、欧米の数社が独占している。孵化から食肉になるまで、45日間ということだそうだ。どうりでむかし食べた「かしわ」とは味がちがう。
こだわり企画:今夜は、12.23全国集会(教育基本法改悪反対)のビデオを中心に進む。新聞ではほとんど報道されない(とくに読売新聞では)内容。政治的なことは嫌いだが、傍観者でいつまでもいるわけにはいかない気がきてくる。
2004.10.07 (thu) 第86日
7時7分 いつもの徳元さんの声で起床。あいかわらず揺れがはげしい。昨夜は、のどの痛みがひどく、ほとんど寝ていない。朝食はトパーズダイニング。納豆だが、飲み込むとき喉にあたって痛い。
今日の予定
12:00~12:30 ごっくんのスライドショウ(ウィンジャマール)
14:15~15:35 いってみた!!南北コリアクルーズ
16:00~17:30 トパーズ村の仲間たち~番外編~
17:30~18:00 ケイタイ使い捨てのハイテク(アゴラ)
21:00~22:00 マヤの人々からのメッセージ(ウィンジャマール)
21:30~23:00 アルバムCDを焼こう(あん)
ごっくんのスライドショウをみる。MACで作成したものだが、素晴らしい出来。
ケイタイ使い捨てのハイテクは、休む。
46’S卒業アルバム(よろばむ)のアルバムCD焼き作業は、結局深夜2時半までかかった。
2004.10.08 (fri) 第87日
9時から、アルバムCDの焼き込み。11時まで、合同でやり、午後からは、個別に。12枚ブランクをあずかり、1時すぎには終了。
自分の分のアルバムのデータを確認。90°回転が必要なもの。ファイル名の項目順序の統一。縮小版が正しく表示されないもの、などを修正。
スタッフや水先案内人が、参加者のフォルダーにはいっているものもあった。
2004.10.09 (sat) 第88日
4時30分ごろ起床 昨夜来、喉が痛くあまり眠れない。時差修正もやった覚えがない。一旦、7階デッキにいってみる。小用もしたいし。揺れはすこし少なくなった感じ。すでに、何人かのひとは、ベンチでのんびり休んでいる。竹トンボのHさん、麻雀のSさん。Sさんは、昨夜の大会で優勝したとのこと。船内新聞をみると、今日は船内、ムービー一色。普段、あまりシアターにいくことがないが、たまには、よいかな。
昨日いただいた、卒業アルバムの再編集作業続行。
今日の予定
10:30~12:10 富江
13:00~15:00 座頭市・北野武
15:30~17:40 デイアフタートゥモロー
21:00~22:15 ミステリーオンザボード
22:30~00:00 こだわり企画~NGO入門~
富江:劇場上映されたときから気になっていた。最近の若い人が好むものとは、こういうものか。ストーリーテラーとしては、よく出来ているほう?
北野武の「座頭市」:さすが受賞するだけあって、楽しい作品。北野作品は、「菊次郎の夏」以来だが、好きな監督。
デイアフタートモロウー:やはりアメリカンヒロイズムべったりの作品。スペクタクルはすばらしいが、あまり後に残るものはない。父が、子に約束したからと、無謀ともいえる行動にでる。いかに自発的とはいえ、同僚を巻き添えにしてしまう。私のような凡人には、理解できない行動。父親像が欠如している私のぽうが、変なのかも知れない。
ミステリーオンザボード:船内で自主制作した作品。デジタルビデオカメラとMACとの組み合わせで、創作意欲とセンスがあれば、こんなにも簡単にできるとは驚き。内容は、46回クルーズのメンバーが楽しめる「楽屋落ち」がいっぱい。しかし、芸達者がおおいなあ。
こだわりの深夜企画:今日が最終日。昨夜は欠席したが。最後なのでとおもって参加したが、途中、寝てしまったよう。今日、竹トンボ工房で、Nさんから冷やかされた。前半に上映したビデオ。TVで放映中止になった、TV界における、情報統制の実態。想像されていたことだが、こうも当事者の証言があると、考えさせられる。インターネットをはじめとする、マスコミ以外の情報に注目しなければならない。
今回の主題である、下船後のNPO・NGO活動については、私はまったくの白紙。というか、まずは、以前の地域ボランティアにもどって、そのなかで考えていきたい。
多少の政治性をもつ社会的活動は、PPTあたりをベースにしてからでも遅くない。
2004.10.10 (sun) 第89日
6時20分起床 久しぶりのラジオ体操。朝食はトパーズダイニング。昨日確保しておいた納豆持参。天候曇り。波は比較的穏やかだが、風はつよい。船首は立ち入り禁止。
今日の予定
11:30~12:30 手話教室
14:15~15:15 トパーズ村の仲間たち(徳元さん&本山さん)
14:30~17:00 発送代行用切手の返却受け付け
16:30~17:30 在日ってなに?
22:40~00:00 10月11日を取り戻せ
今夜は、時差修正と日付変更とが重なっている。すこしややこしいが整理してみよう。
深夜12時になると、時差修正で、11時にもどす。しかしこの11時にもどしたとき、日付の変更が行なわれるので、10日ではなく11日。11日は、午後11時からの1時間だけ存在することになる。そしてふたたび12時になると、以降は12日ということ。
手話教室:今日は、新しい手話歌の練習。四季の歌、世界中の子どもが笑ったら、これに、世界に一つだけの花の3つを「よろず大演会」で披露することになる。今日を含めて3回、各1時間の特訓がはじまる。最高齢のOさんが一番熱心。まだ10分あるから、と時間一杯まで繰り返し練習した。
トパーズ村の仲間たち最終回は、JGスタッフといっても2人とも、PBと関わったときは、パッセンジャー。ボラスタ経験もあるという。徳元さんの前半の話が聞けなかったが、10代のとき、すでに豪華客船にのった経験がある。まさに船マニア。好きな客船は、ロッテルダム。もう引退したそうだが、横浜に寄港したとき、私も見に行った気がする。本山さんが、披露してくれたピースボートの歌、私達の世代には、懐かしい感じがわいてくる。
在日ってなに。:現在、在日韓国人であり、日本国籍にするかどうか迷っている。これまで通称名で過ごしてきたが、この船で韓国名を名乗ってみた女性。最近、日本国籍を取得したが、その際、親は、通称名で申請した。自分としては、日本国籍をとるのはよいが、せめて韓国名で登録してほしかったとおもっている女性。2人のこれまでの、心の葛藤。大学で交換学生に応募。母国韓国にいってみたが、ハングル語が話せず、「在日か」、と韓国人と同一視されなかったこと。大学では、差別はないが、小中学では、韓国姓を名乗ることは、はばかれたこと、など・・・。体験談がおわって、老婦人が静かな口調で発言。区別と差別は違う。在日の方の国籍問題などは、区別と解釈すべきで、差別しているのではないという論旨。いわゆる「新しい歴史教科書を作る会」の主張とおなじ。ある意味で、日本の世論を代表している意見かもしれない。在日とくに少女からの反発をうけたが、老婦人は直接的な回答はせず、韓国人の日本における成功例など、個人の資質を強調しだした。少女は、涙をたたえて席をたつ。後に残った人とくに若い人が、婦人に「彼女の言いたいことが理解できないのか」と詰め寄る。婦人は、動ぜず、在日問題は、あくまで「個人の問題」だという主張。時間切れで終わったが、国内のマイノリティー意見が、PB船内ではマジョリティー。逆に国内マジョリティーが船内ではマイノリティー。そのなかで自分の主張を、冷静に語り続けた婦人には感服するが、しかし彼女のミーティング参加目的は、何だったんだろうとも思う。私の場合は、まだ自分の意見が確立していないので、多くの意見を聞きたい、とくに日常知り得ない情報を知りたいという気持ちからなのだが。
夕食後、シャワーをあびて、日記を書く。Sさんの企画もののプレゼン資料最終訂正。揺れがひどく、トラベルミンを飲んだら眠くなり、「10/11をとりもどせ」には参加せず。ということで、10月11日の日記はない。
2004.10.12 (tue) 第91日
7時50分起床 5時50分腕時計のめざましで目を覚ますが、まだ眠たい。起き上がる元気はない。揺れもはげしいが、不快感はない。7時7分の定例放送も聞いたが、気持ちがよいので、そのまま。
朝食は、トパーズダイニングで、納豆。あすの分もそっと確保。Oさんの話では、今朝は、ヨットクラブで朝食をとったひとがほとんどいなかったとのこと。船内新聞で、今後のスケジュールを確認。18日(月)東京着港。17日荷造り日。16日フェアウェルナイト。15日よろず大演会。14日ありがとうパーティー。と、ぎっしり詰まっている。
今日の予定
10:00~11:00 五代博士の「メガネ」講座(ウインジャマール)
11:00~12:00 手話教室
18:45~19:30 マイノリティについて考えよう
20:30~21:00 マグロ
21:00~22:30 GETプロジェクト発表会
新聞の編集後記にこうあった。「在日についてのしゃべり場。頭がショートした。世界にも自分にも問題はいっぱいあって、それにやんわりと挑みたい。カッとならずに・・・。自分を肯定するために他人を否定しなくていい、余裕のある大人になりたい。」いちばん、カッとなったのは私かもしれない。若い人々の反応はさまざまだったが、聞く耳をもつ態度は、見上げたものである。私をふくめ、高齢者のほうが、しずかだが、自分の思い込みを話すばかりで、「対話」にはなっていないと感じた。
2004.10.13 (wed) 第92日
ごっくんから相談をうける。スライドショウ総集編をやりたいが、これまでつかっていたPC(MAC)が借りられない。協力してもらえるか。二つ返事でOK。午前中、預かったCDからデータを、PCにコピー。映像順にあわせて、ファイルの選択、ファイル名の変更などをおこなう。MAC用に編集されているので、ちょっと面倒だったが、試行錯誤のすえ、仕組みが理解できた。画像のサイズが大きいので、映写用に、800*600に縮小する。乗船直前にインストールした「縮小専用」がおおいに役立つ。またファイル名変更では、flexible renamer が実力を発揮。(正規表現などは、使えなかったが)
ごっくんもGET卒業式などスケジュールがいっぱい。
結局、対象ファイルが揃って、画像の選択作業をごっくんができるようになったのは、午後10時すぎ。わたしもエンドレスでつきあうことに。アッパーデッキは、夜になると冷え込む。毛布をもちだして仮眠。1時間ごとぐらいにごっくんから声がかかり、相談に応じる。4時頃、1段落したということで、ファイル数を確認したら、まだ2000枚。これを半分以下にしなくては。・・・。3時ごろからは、ゴッくんが、指示して私が削除するという協同作業に切り換え、やっと6時まえに完成。950枚程度になった。
2004.10.14 (thu) 第93日
昨夜から、slideshowの編集で、就寝したのは6時まえ。9時起床。パンをたべたく、ヨットクラブへいくが、終了。あわてて、トパーズダイニングへ。かろうじて間に合う。おかゆ、梅干し。味噌汁と簡単に。おわるとすでに9時30分。スライドショウ開始は、9時45分。あわててPCを持っていく。PAはまだきていないが、前のつづきで、スクリーン、プロジェクターは設置されている。モニター出力接続ケーブルは、バッグのなかにあった。試行錯誤のすえ、computer2の端子につなげ、スイッチをcomputer2に切り換える。PCのFN+F5を押して、出力を替える。成功。定時には、音楽CDをもってPAさんも登場。時間どおりショウははじまった。ニューヨークをすぎ、パナマ運河まで、適宜、マニュアルで切り替えをいそぐ。windows常備のスライドショウは、切り替え時間の設定ができない?。1画面5秒。(できれば3秒がよい)
11時におわる。もどって一休み、ふと新聞をみる。手話教室が11時~12時とある。あわてて部屋をとびだす。11時45分。手話歌の最後の練習の真っ最中。おわって、久美さんが全員に手作りのメッセージをかいた冊子をくれた。みんなで記念撮影。
今日の予定
14:00~15:00 ありがとうフェスティバル
17:20~18:45 59んのスライドショウ
18:45~19:30 よろず大演会代表者打ち合わせ
21:00~22:30 愛と死の戯れ
頭が非常にいたい。OTさんにあったので、頭痛薬をいただく。ピタリと納まった。午後のスライドショウは、時間もあるので、手作業はなし。ぴったりと時間どおりおわった。夕食は、トパーズダイニングへ。ビーフをセレクト。ビールも注文。しかし、ビーフが固く、幾度か噛んでいるうちに、突然、嘔吐したくなった。なんとか堪えたが、心配なので、メインディッシュは、そのまま手をつけず、フィニッシュ。ビールとパン、デザートはしっかり食べた。9時まで、1時間ばかり仮眠しよう・・・・・・
2004.10.15 (fri) 第94日
5時55分起床 昨夜は、7時頃仮眠のつもりで、ベッドにベストを着たまま横になったが、そのまま熟睡。午前1時に気づく。演劇がみれなかった。うたた寝のため、風邪をこじらしたかもしれない。衣服を脱いで、ふたたび休む。朝は、それほど喉がいたくないので、久しぶりに、太極拳でも。デッキは、おだやかだが、進行方向は、怪しげな空模様。ヨットクラブでトーストの朝食。小雨がふりだした。
今日の予定
10:30~ よろず大演会リハーサル(手話歌)
12:00~13:50 演劇ビデオ上映
14:00~16:00 よろず大演会第1部 14:45手話歌
20:30~22:30 よろず大演会第2部
よろず大演会は、船内全企画の総集編。1企画5分の割り当てで、中身が濃く、思いっきり楽しめた。
2004.10.16 (sat) 第95日
6時7分起床 太極拳・ラジオ体操、ヨットクラブでトースト。後方デッキは風がつよい。テーブル、椅子までとばされる始末。昨夜の大演会2部でビデオは使い果たした。そろそろ、身辺整理をしなければ、と思うが、新聞をみるとまだまだ企画がもり沢山。
Mさんから、先日書いてもらった似顔絵をコピーしてもらう。PCに向かっているところだったので、眉をひそめて、厳しい表情。普段、こんな顔をしているのだろう。
外の天気は、またあやしくなってきた。前線にむかっているのか。海図でみると、ぎりぎり、19日昼ごろには、東京につく感じもするが、余裕をみて20日帰港はまちがいなさそう。
グアテマラAコースの展示には協力できなかったが、資料請求の申し込みをする。下船後の情報希望として、連絡先も記入。どこまでののことが出来るかわからないが、このままグアテマラのことを忘れたくない気がする。スペイン語も学習してみたい。ウィンドウに、国連HPのなかのPBコーナーが紹介されていた。URLはわからないが、UN CYBERSCHOLLBUS というページ、ここがPBの活動の紹介ページ。竹トンボのHKさん、紙飛行機のKGさんのことが書かれていた。
今日の予定
09:30~11:30 このクルーズのマイフォト
10:00~11:00 健康ヨガ(スポーツバー)
12:40~ 46th全員集合写真(前方デッキ)
14:00~15:00 PB公式HP写真集(ブロードウェイ)
17:00~17:45 坊主全員集合~最後の儀式~(シアター)
19:00~19:30 (CABINシネマ16ch)船内インタビュー
20:45~22:30 波乗り宝箱byPB事務局(ブロードウェイ)
00:00~朝? 多文化ニッポン朝までマイノリティー(ウィンジャマール)
Mさんのスクリーンショウ。なかなかよく、健康ヨガは、さぼる。中山さんが、PCでの編集を担当。PHOTOJAMというツールをつかっていた。ページが開くように次画面に移行。画像に文字の挿入ができるなど、専用APらしい雰囲気。文字のバック処理に不満がのこるが。BGMもいれられるようだ。13時集合写真のあと、ブロードウェイをのぞいたら、GETティーチャーのスピーチコンテストがあるという。そのまま飛び込む。なかなか、含蓄のあるスピーチばかり。14時突然、今後のスケジュールに関する重大説明が船長からあった。19日正午、予定より27時間遅れで、東京晴海に到着できるが、そのあと、台風の動きが心配なので、神戸へはいかず、全員東京下船になるという。詳細説明は、2時半および3時半に神戸下船予定者、東京下船予定者それぞれに説明するとのこと。
期待してたHP写真集は、17日午後1時からに変更。説明会では、ロシア催行中止にかんする返却のことが中心。東京駅、晴海埠頭間のシャトルバス運行だけ。
5階乗客は、15時30分ごろから?下船開始。
坊主集合最後の儀式とは、写真撮影のことだった。最後にもう一度坊主になるのかと勘違いしていたのでスゴスゴ退散。これで、終わりになるので、同室者の飲み会を提案。Mさんは、あまり乗り気でないようす。3人で日程は決めてしまったほうがいいか。
cabinシネマは、画像がみだれ見れなかった。「波乗り宝箱」のほうは、エリックとカオリンの「おてもやん」など、アイディア満載楽しかった。それにしても芸達者な人たち。人間、一芸は持っていないとだめだなあ。24:00までの暇つぶしで、折り紙「かつお舟」にチャレンジ。サンプルをみながら、試行錯誤。何とか自分なりの手順ができたので、大型紙で5艘作成。作成手順のサンプルもつくる。
24:00から、ウィンジャマールへ。「多文化国家ニッポン朝までマイノリティ」
いってみるとすでに数人で、ビデオをみていた。参加者は、わたし、るみねえ、イブほか、ビデオインタビュー制作者、飛び込みの若者たち。イブさんが、こんな時間に開いた理由を説明。夜なら、昼間いえない発言もできるかも。また、深夜であれば、それなりに目的意識をもった人のみ参加する。昼間だと、話題に入る前段階でもめてしまうことがあるので、とのこと。マイノリティーについて感じることを、みなで話すが、ちょっと盛り上がらない。ねむたいのか。るみねえが、口切りで、NY風草の根ワークショップでのはなしをする。1時間半ほど話し合って解散。ちょっとまとまりがなかったが、それだけ奥深いテーマということ。「マイノリティ」ということをこれからも意識していこう。
2004.10.17 (sun) 第96日
6時10分起床。小雨。太極拳、ラジオ体操は、ブロードウェイで。OKさんといっしょ。朝食は、トパーズでとることに。納豆がないので、味噌汁をご飯に掛けて、ねこまんま。斜め向かいのご婦人も同様。こうしないと、喉をとおらないとか。
8時、アッパーデッキで、「カツオ舟」の仕上げ。小さい紙で、5艘つくる。ルームメイドのGINKAさんあてのレターを添えて、ポリ袋にいれる。折り方の手順ごとに5段階のサンプルをつくったが、理解してもらえるかどうか。
本日の予定
13:00~14:00 PB公式HP用写真集(ブロードウェイ)
15:00~ 下船説明会
17:30~ フェアウェルディナー
18:00~ フェアウェルパーティー(ブロードウェイ)
21:00?~ 同室飲み会(波へい)
フェアウェルパーティー参加するかどうか、まだ迷っている。
夕食券、私は本来後半食なのだが、前半食と交換してほしいという人がいて交換。これで、同室者と3人で最後?の晩餐ができる?お礼にと波へいのドリンク券をいただく。これも使える。フェアウェルディナーは、クルー総出の合唱などで盛り上がる。我が部屋の担当:GINKAさんも歌っていた。GINKAさんには、ルームメイクにきたとき、折り紙をわたし、仕上げの方法を説明することができた。
飲み会:8時30分、SDさんが先遣隊として、波へいにむかう。9時前パーティーを抜け出し、波へいに。SWさんが、バンクーバーで購入したキムチを持参。これは美味だった、ビールのつまみがわりに、すべて平らげた。
おくれて、Mさんも参加。10時ごろまで、取り止めもない話だが、楽しく過ごす。
2004.10.18 (mon) 第97日
6時45分起床 太極拳・ラジオ体操には間に合わなかった。
昨夜忘れていた、最後の時差調整をおこない、東京との差がなくなった。
今日は、荷造り日。とくにイベントは、ない、とおもったら、あった。「始まりの合図~終わりがはじまり~」。新聞の一言コーナーに私が書いたことば:キーワードは「RESTART」とおなじ?
今日の予定:
午前中、荷物の確認。
午後 荷造り(特にみやげもの、書類、工具、プリンタ、ビデオなど)
PCは、最後まで使うので、バッグにいれる
16:00~17:00 始まりの合図
19:00~19:30 グアテマラAコース・イラスト返却
なんとか、荷物を段ボールにはいれた。税関申告資料はまだ出来ていないが、明日にしよう。スーツケース2個。乗るとき持ち込んだ段ボールのうち1つは、床に敷いているうち、かびがはえてしまった。残りの1つと、コロンビアで入手した2個、船内で購入した2個、荷物はあわせて7個。ほかにバッグとベスト。ギエモドラムとベトナムハットは、手に持つことに。
始まりの合図:3ヶ月の思い出を1時間にまとめた総集編。
それぞれの人の一言メッセージが感動的だった。ろう者の久美さん。昨年ご主人を亡くされた陽子さん。身近に接していただけにジンとくるものがあった。
グアテマラAコースで子どもたちから頂いた絵の原本を返してもらう。全部をスキャナーにとったmのは、CDに焼いて、後日送ってもらうことになった。ここの話は、ぜひ多摩でもしてみたい。
2004.10.19 (tue) 第98日 東京帰港
午前5時5分起床 最後の船上からの日の出を見ようと、デッキにでる。空は雲でいっぱい。日の出はみられそうにもない。右舷に明かり、(高速道路灯か)がみえる。日本の陸地だ。ブリッジから、おはようの声。ここはどこか、あの灯台の名前は?と聞くと、わからない、との答え。調べているようす。野島崎だという。そのうち、次の灯台、街灯がみえる。館山かとするとその向こうの山並みは、鋸山?
明るくなってきた。やはり日の出はむり。小雨もぱらつく。風も吹いてきた。ジャンパーをとりに部屋に戻る。ブロードウェイをのぞくと太極拳をやっている。あわてて参加。そのあと、ラジオ体操、やいちが、あそひろ、がっちャンに感謝状を読み上げるが、感極まって、口ごもる。最後に記念写真。
朝食はヨットクラブで、久しぶりのシリアル、コーンフレーク。最後の日だからか、超満員、席がみつからない。食べ終わった人にあけてもらう。8時30分ごろ、左舷側に火力発電所の煙突がみえる。右舷側には、鋸山のロープウェイも。パイロット船接舷。1000万円の現金も一緒に。部屋に戻ると、航海証明書が届いていた。確かに地球一周。北極圏にはいった場所、日時。スエズ・パナマ両運河を通過した日もはっきり記載されている。
今日の予定
10:00~ IDカード、部屋の鍵と交換にパスポートを返してもらう
12:00 晴海埠頭着岸予定
レインボウブリッジ通過時、出航曲(love shine a light)が流れるという。
予定通り着岸、13:00 7階フロアから下船可能になる。