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そろそろ20年になる
船を降りてから、じっくり旅で感じたことを再確認しようと、すべての資料を保管していたのが、数年前、船内通信などかさばるものは廃棄してしまったようだ。
今でも、ピースボートからは、ダイレクトメールが届く。すこぶる豪華客船に様変わりしている。若者たちの意識もあのころとは変わっているので、ピースボートの活動も変わってきているのだろう。わたしはもう船に乗る、気力も体力も、ましてや財力もない。こうやって過ぎさった日々を振り返るだけ。 来週、近くの小学校で、子供たちに、地域でボランティア活動をしてきた経験を話すことになった。どうもピースボートでの体験が、根っこにあるようだ。そういう意味で、私の中にピースボートは生き続けている。 (2023/10/26)
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ダイレクトメールはまだやってくる
あれから17年。コロナという想像だにしなかった災害?に見舞われ、ピースボートの思想は、危機状態にあるのではなかろうか。乗船して感じたこの船は老人の好奇心と若い人たちのエネルギーで動いているという思い。いま若い人は疲弊しており、老人は身動きできない。なにも手助けはできないが、なんとか生き延びてほしいと念じるだけである。(2021.03.08)
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断捨離
独立した子供たちの部屋をリフォームするついでに、自分の部屋も整理。写真やアルバム、仕事関係の書類、FD,MD,CDなど、大量の書籍、文書、磁気媒体を廃棄した。しかし、ピースボート関係だけそのまま。なかを開くといろいろな思い出が。片付けがはかどらないので、箱にしまう。つぎに開くのはいつだろうか(2019.06.05)
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オリンピックイヤー
ピースボートの旅に出たのも、オリンピックの年。もう12年前のことだ。野村選手の3連覇、やわらちゃんの大活躍を間近で見て、スポーツ音痴のわたしでも興奮せざるをえなかった。今年、ブラジルにオリンピック観戦にいきたいと思う人が、どれほどいるだろうか。12年前でもエジプトで不穏な動きがあり、警察に守られてバス移動したのだが、いまは、それどころではない。ピースボートが、本来の目的にあったかたちで、地球を巡れるときはいつになるのだろうか。(2016.07.15)
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ダイレクトメールが届いた。
ピースボートが、新造船にうまれかわるという。2020年の出航プラン。東京オリンピックまでには戻ってこれる。私の乗ったトパーズ号は、20世紀最後の客船といった感じで、すべてが古き時代の産物であったが、世界一エコロジーな「エコシップ」というふれこみ。さすがピースボートもやりますね。自分自身は、すでにチャレンジする気持ちは消えているが。折しも、所属するサークルの学習会で、模擬講演をおこなってほしいというので、ピースボートの記録を読み直している。もう11年経ったのか。このHPのあちこちに見受ける高揚感は、薄れてしまっている。このところ、運動不足も重なり、ダレ気味でもある。PBも新造船ということなので、こちとらも、気持ちを取り直して、これからの人生への船出とまいりましょうか。(2015.10.14)
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ピースボートを思い出す。
昨年11月、地元の子供たちを前に話をする機会があった。テーマは「伝統文化」と「国際交流」。わたしは、「竹とんぼ」を子供たちといっしょに作り、遊ぶだけだったのだが。どんな話をしようか考えて、すぐ思い出したのは、ピースボートが私に「竹とんぼ」を作るきっかけを作ってくれたこと。そして「竹とんぼ」が国際交流に役立った航海中の思い出。
いまの私の生活、生き方のどこかに、ピースボートの体験が息づいている。(2014.01.01)
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地元に戻って6年経った。
ピースボートに乗船して、わたしのなかで何が変わったか・・・。
1. 知らない人とコミュニケーションをはかることに自信がついた。
2. コミュニティーの大切さを肌で感じた。
3. 多様な文化、価値観の存在を再認識した。
いまでも、ピースボートの乗船案内のはがきがくる。当時いっしょに乗った人たちの多くは、再び、異国の旅を楽しんでいる様子。しかし、私は多分もう船に乗ることはないだろう。グアテマラの子供たちの現在を知りたいという気持ちは少しあるが、そのために使う時間、体力、資金が私にはもう残っていない。ピースボートでの体験を、単なる思い出としてではなく、現在の生き方に反映されていると思っている。思いつくままに、今後書いていきたい。(2011.01.01)
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